田は一向に軽薄ではなく、笑ふ人の方が軽薄なので、深刻ヅラをしなければ、自分を支へる自信のもてない贋芸術の重みによた/\してゐるだけだ。
先頃、織田と太宰と平野謙と私との座談会があつたとき、織田が二時間遅刻したので、太宰と私は酒をのんで座談会の始まる前に泥酔するといふ奇妙な座談会であつたが、速記が最後に私のところへ送られてきたので、読んでみると、織田の手の入れ方が変つてゐる。
だいたい座談会の速記に手を入れるのは、自分の言葉の言ひ足りなかつたところ、意味の不明瞭なところを補足修繕するのが目的なのだが、織田はそのほかに、全然言はなかつた無駄な言葉を書き加へてゐるのである。
それを書き加へることによつて、自分が利巧に見えるどころか、バカに見えるところがある。ほかの人が引立つて、自分がバカに見える。かと思ふと、ほかの人がバカに見えて自分が引立つやうなところも在るけれども、それが織田の目的ではないので、織田の狙ひは、純一に、読者を面白がらせる、といふところにあるのである。だから、この書き加へは、文学の本質的な理論にふれたものではなく、たゞ世俗的な面白さ、興味、読者が笑ふやうなことばかり、さ
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