る人の心の切なさであり、あらゆる人がその人なりに生きてゐる各々の切なさと、その切なさが我々の読者となつたとき、我々の小説の中に彼等がその各々の影を追ふことの素朴なつながりに就てである。純文学の純の字はさういふ素朴な魂を拒否せよといふ意味ではない。たゞ、如何に生くべきか、思想といふものが存してゐる、その意味であり、それに並存して、なるべく多くの魂につながりたいといふ戯作者がゐる。あらゆる人間の各々のいのちに対する敬愛と尊重といたはりは戯作者根性の根柢であり、小説の面白さを狙ふこと自体、作者の大いなる人間愛、思想の深さを意味するものでもあることを知らねばならぬ。
 孤高の文学といふ。然し、真実の孤高の文学ほど万人を愛し万人の愛を求め愛に飢ゑてゐるものはないのだ。スタンダールは、余の小説は五十年後に理解せられるであらうと。たしかに彼はさう書いてゐる。然し、それだけが彼の心ではない。彼はたゞちよつと口惜しまぎれに、シャレてみただけだ。五十年後の万人に理解せられるであらう、と。五十年後でなくたつて、構はないにきまつてゐるのだ。
 日本文学は貧困すぎる。小説家はロマンを書くことを考へるべきものだ。
前へ 次へ
全20ページ中19ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング