、そのための発散の効果によつてのことであつて、文学本来のイノチをそれによつてむしろ限定し低くするなら意味がない。坂田八段の端歩は、まさしくハッタリによつて芸術自体を限定し低めてしまつたバカ/\しい例であり、大阪の長所はこゝに於て逆転し、最大の悪さとなつてゐる。それは大阪といふものの文化的自覚が、真理の場に於て自立したものではなく、東京との対立に於て自立自覚せられてゐるからで、そこに大阪の自覚のぬけがたい二流性が存してゐる。かゝる対立によつて自立せられるものは、対立の対象が一流であれ何流であれ、本人自体は亜流の低さから、まぬかれることはできない。
今日ジャーナリズムが大阪の反逆などといふのは馬鹿げてゐる。反逆は大阪の性格、大阪の伝統の如きものによつて、為さるべきものではない。文学は文学本来の立場によつてのみ反逆せられねばならぬ。
織田は悲しい男であつた。彼はあまりにも、ふるさと、大阪を意識しすぎたのである。ありあまる才能を持ちながら、大阪に限定されてしまつた。彼は坂田八段の端歩を再現してゐるのである。
だが我々は織田から学ぶべき大きなものが残されてゐる。それは彼の戯作者根性といふこ
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