らう……」と、木訥な一人が感激に目をうるませて叫んだ。「何よりお目出度い! これよりお目出度いことはない! 旦那、まづ何よりも祝ひの酒だよ!」
 酒! 驚いた! 迂闊にも程があるといふものだ! 吃驚した群衆は慌てふためいて叫んだ。
「祝盃だ! 隠居の誕生日! 酒! 酒々々々々々!」
「しかし……」と、半左右衛門は明らかにうろたへた。それから彼はひどくむつ! として、
「しかし、婆さんは死んどるわな!」と言つた。
「おや! 素人の旦那が! 旦那は何かね。自分の母親を一日早く殺さうといふ魂胆かね!」
 と、例の木訥な農夫は殆んど怒りを表はして斯う詰《なじ》つた。すると駐在所の巡査は、群衆の陰から肩を聳やかして、佩刀《はいとう》をガチャ/\いわせたのだ。半左右衛門はしどろもどろとなつたのである。
「わしは別に殺しはせんよ。婆さんは今朝から死んどるといふのに。……」
「おや! 誰が言ひましたかね!」
「医者が――」
「えへん!」
 と咳払ひをして医者は空を仰いだ。半左右衛門は口をおさへて、頬に泪を流したのである。進退全く谷《きわ》まつたのだ。突然、しかし必死の顔をあげると、彼は物凄い形相で慌た
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