昔の救世軍本部を仰いで祖国のために暗涙を流したのもムベなるかな、今日つひに敗北し、戦争十年の日本の腐敗、官界軍閥の堕落のあとを眺めれば、郡山などは最もマトモな紳士であつたではないか。大将だの大臣だの長官などゝいふのはみんなムジナかナマズか何かであり、郡山はボルネオの国民学校の優等生で全く裏も表もないそれだけの正真正銘の人間だつたのである。
彼はこれだけ忙しい人生の合ひま/\にゲーテだのシラーだの時にはゴッホの絵本などゝいふどこから種本を見つけてくるのやら飜訳といふ仕事をやり、私が小説の本をだしたよりもたくさん飜訳の本をだしてゐるのである。
大観堂が郡山の家へ原稿をとりに行つて呆れて帰つてきて、飜訳の大先生だからたくさんの洋書がギッシリ部屋につまつてゐると思つてゐたのに、カラッポの本箱に三十冊ほどの本がチョボ/\とあつてその大部分が講談倶楽部で洋書は一冊もありませんでした、と言つて溜息をもらした。私もこの本箱のことならよく知つてをり、まつたく講談倶楽部を入れて三十冊、それ以上のいかなる本も所持してゐないのである。かういふシブイ人物であるから杉山英樹の衒学的大風呂敷とはソリが合はないので、由来衒学者は田舎者であり、郡山は最もイキ好みのシブイ男で(産報などゝは最もシブイ)うるさくて騒々しくてしつきりなしの電車みたいで困るけれども当人がイキ好みであるといふ精神に於ては変りがない。マトモな商売はやれないといふ意気好みだから何とも騒々しいのは仕方がない。
足のない大入道の幽霊と首のない毛筋だけの地球をゴロ/\ひつかいて走り廻つてゐるうるさい意気好みの男と、昔の日本では騒々しいのが二人たいへん仲が悪かつたのだが、戦争が終つてみると、気の毒に足のない大入道の幽霊の方が死んでしまつた。杉山が生きてゐれば日本の文壇はもう一とまはりうるさくなり、バルザックだのサント・ブウヴだのボルテールだのと読まない本を何百冊も並べたてゝ、ともかく命中するのは風ばかりにしろ細い鉄棒をふり廻して低気圧の子供ぐらゐは年中まき起した筈であつた。
大将だの大臣の正体がバクロされて檻につながれ、世は変り、こゝに郡山千冬も真人間となる時がきたので××社の編輯記者となり、この雑誌社は裏街道ではないやうで、どうやら人間の表街道へ現れるに及んで、なるほど世の中は根柢的に変つたんだなアと私は彼を眺めて世のたゞならぬ
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