いよ。人間もここの浜では砂粒とおんなじことだ。息の根をとめてみたつて、もと/\たかがこんな屑みたいな小粒かと思ふと、いい加減がつかりして、却つてほつとするんだ。とにかく自然もこれくらゐ荒々しくなると、せつないやうな救ひがあるよ」
 と、当太郎は微塵も陰の感じられない哄笑を高らかに鳴らしながら、そんな述懐もしたのだつた。
 ところが翌朝になつてみると、当太郎の姿が見えないのだ。散歩の風をして宿をでかけたことまでは分つた。方々手を廻して調べてみると柏崎から汽車に乗込んだ形跡までは辿ることができたのだ。磯づたひに柏崎まで彷徨《さまよ》ふていつたらしかつた。なんとなく落付のない一日が暮れて暗澹たる夜が落ちたが、当太郎の消息はさらになかつた。夜が落ちると、北風の悲鳴と海鳴りが、急にいちぢるしく唸りはじめてくるのだつた。
 当太郎の失踪が確定してしまふと、まさ子は却つて物憂いやうな落付をとりもどしてきた。時間の経過につれて悲観的な気分が部屋のどんな気配の中にも深まりはじめ、淵へ突落されてゆくやうな手触りのない不安がせまりはじめてくるうちに、夜がとつぷり落ちきつてしまふと、まさ子の物憂い落付は一層病的な青白さを漂はしてきた。
「今頃はどこかで冷めたくなつてゐるかも知れないわ」
 と、まさ子は再び物憂げな静かな微笑を浮かべはじめて言つた。
「どうせ一度はやつちやうのよ。今日は死なずにゐたところで、近いうちに同じことがあるんだもの、心配するだけばか/\しいわ。つくづく飽いちやつたわ! でも、どこで死んでゐるのかしら? 浪打際や雪の下ぢや、冷めたくつて可哀想だわ。意気地がないんだから、大概温い部屋の中だと思ふんだけど……」
 まさ子は炬燵《こたつ》にあたり、本をひろげてぼんやり頁をめくつてゐたが、時々思ひだしたやうに顔をあげ、物憂い微笑をつづけながら、こんなことをまとまりなくボツ/\と言ひだすのだつた。
「棺桶のままぢや汽車につめないかしら? 焼いてもつてつたんぢや、母アさんが可哀想だわ。お兄さんはなんのために生れてきたのかしら? まるで自殺するためだわ。もがきつづけるためだわ。それに、女に惚れるためよ。浮気だわ。女から女へあんなに忙しく惚れつづけて、ほんとに好きな人は結局一人もなかつたのよ。そんなことも、考へてみると、可哀想な気もするけど、あんまり手出しが早いんで呆れちやうことが多かつたわ。冷めたくなつてると思ふと、そんなことも悲しいことのやうに思へるわ……」
 まさ子のこんな感慨に向つて、草吉の答へる言葉は全くなかつた。ただ一言、
「死んでしまつたものなら、仕方がないでせう」
 と、何かのきつかけに答へたのが、実感をもつて語り得た唯一の言葉であつたのだ。
 他人の死滅――このあまりにもかけ離れた、信じられない不可能な事実が、彼の心に異様に遠い虚しさや物憂さ、所在のなさを深めてゆくばかりであつた。同時に、その虚しさの深まりゆく一方から、狂暴な肉慾が蠢めいてくるのだ。溢れるばかりの強烈な色彩を豊富に盛りあげた淫猥な想念が、閃くやうに燃えあがつてくるのであつた。その時また一方には、暗い沖のうねりのやうな荒涼とした哀愁も間断なく流れ、それらのものが一つの塊まりとなつてもつれる時には、息苦しい虚しさとなり、一瞬喪失をよびおこすほどの大きな落胆となつたりした。
 草吉は湯槽へ逃げて、無心の時間を探さうとしてみた。ところが、まさ子の見えない場所へひそんでみても、燃えあがる想念から逃れることはできなかつた。
 一風呂浴びて部屋へ戻ると、ある種の甚だぎこちない放心状態をもつて唐突に歩みより、炬燵にもたれてぼんやりと頁をめくつてゐるまさ子の弱々しい肩の上から手をかけて、至極力のこもらない静かな動作をもつてだきすくめた。狂暴な情慾がそのとき鮮明に閃きたつのを意識したが、同時に何物かを訝かるやうな暗い澱みを心に感じた。ところが斯様に切迫した一瞬間の閃きの中に、つづいてこの薄暗く澱んだ疑心を甚しく憎もうとする、まことに強烈な祈りをも意識した。とはいへ、已にいけにえを弄ぶやうに、まさ子を荒々しくみまもつた。
 まさ子の顔はひきしまつた。単純に苦しげな表情もあらはれた。ところがやがて全ての心が失はれてしまつたやうな、まつたく空虚な疲れきつた顔付になつた。さうして、逆らはふとしなかつた。
 翌日になつて、まさ子は言つた。
「お兄さんだけで沢山だつたわ! つくづく厭だと思ふのに……」
 青白い顔であつた。さうして、諦らめきつた微笑を浮かべて呟いたのだつた。
 夕刻近い時間になつて、東京から知らせが来た。新潟市のとある旅籠《はたご》の一室に於て、当太郎が毒薬自殺をとげた、といふ知らせであつた。
 発見は朝のことだが、書き残した住所氏名によつて、知らせは先づ東京へ発せられ、東京か
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