はだうして生きてゐるのだらう? 俺は自殺の資格さへないと考へるときでも、君くらゐ死のほかに道の残されてゐない人を見出すことはできないやうな気がするのだ」
彼は突然眼を輝やかして草吉を見凝めながら、幾分息をはづませて言ひだした。
「君は夜道の街燈なんだよ。一途に何かを照さうとしてゐる、なるほどうるんでぼんやりと光芒をさしのばす。然し結局君を包む夜の方が文句なしに遥かで大きい。君を見るたびに街燈の青ざめた悲しさを思ひだすのだ」
「俺は生きたいために死にたいと思はない。自殺は悪徳だと思つてゐる。俺の朦朧とした退屈きはまる時間の中でも、実感をもつて自殺を思ひだしたことは三十年の生涯に恐らく一度もなかつたのだ」
と、草吉はいましめるやうな静かさで言つた。当太郎は暫く俯向いて黙然としたが、然し全く反抗の気勢は示さなかつた。やがて顔をあげると、小児のやうな弱々しい微笑を浮べて草吉を見凝めながら、
「然し君の方が俺よりも死にたがつてゐるのだよ」と呟いた。
「無意味だ」と草吉は棄てるやうに呟いた。
二人が襖をあけて出やうとすると、隣室の襖が開け放たれて、小柄な娘が叫びながら走りでてきた。妹のまさ子であつた。
「お兄さん! 行つちやいけないわ! 死んぢやうよ! 殺されちやうよ!」
まさ子は前へ立ちふさがつて当太郎の手をとつた。
「草吉さんはお兄さんを殺してしまふんです。お兄さんを行かせないで下さい! 身体のことばかりぢやないんです。頭も弱つてるんですよ。お兄さんは昨日から一睡もとらないんです。それにこの三四ヶ月色々の意味で衰弱が深まつてゐるのです。さういふあとには怖ろしいことが起るのよ。草吉さんはお兄さんを理解してゐないんです。お兄さんの仮面の下の神経の弱さが分らないんです」
「心配することはないんだよ」と当太郎は妹に言つた。言ひながら彼は顔をあからめた。
「この人には理解が必要でないのだ。全く同質のものが通じてゐるからなのだ。心配することはないんだよ。それほど疲れてゐるわけではないのだ」
「お兄さんは帰らないつもりでせう?」と娘は激しい声で言つた。
「帰つてくるよ」
「いいのよ! いいのよ! 帰つてこなくつともいいのよ!」
まさ子の顔は蒼白になつてひきしまつた。彼女はヒステリックに肩をふつて叫んだ。
「いいのよ! 自殺するなら自殺してしまひなさいよ!」
彼女は突然袂をとり
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