からと言つて、貴殿が総理大臣を拝命したのは帝国の安泰を保証するためであり、借金取にビクともしない為ではなかつた。借金取の来襲にも悠々閑々たる心境など、ちつとも取柄はないのである。
 且又《かつまた》金を貸した方の人物にしても、有余る金があるくせに、わづかばかりの貸金の期限が切れた瞬間から、破滅に瀕する大損害を蒙つたやうな幻覚を起し、はては犬畜生にも劣つた精神|陋劣《ろうれつ》佞奸《ねいかん》邪智の曲者などと病的な考にとらはれる。徒《いたずら》に催促の手紙を書いて息を切らせ、静かなるべき散歩の途中に地団太ふみ、あいつのうちの郵便函へ蝮を投込んでくれようかなど妄念にとらはれて不眠症となる。忽ち身体を弱くして、早死してしまふのである。
 どつちを見てもひとつも碌なことはない。これ皆々借金なる一事が平和なる庶民の生活に妥当を欠くためである。

 然しながら、屡々《しばしば》庶民の生活には不時の急場といふものがあり、無理算段の必要にせまられることがある。半生借金の魔手に悩まされ懊悩呻吟骨身に徹した人々は、そこで浅墓な考から、虎の子を抱いて賭場へ走り、競馬へ駈けつけ、かくて又、身を亡してしまふので
前へ 次へ
全18ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング