屋のある大店だ。通いでも住み込みでも三度の食事は店でたべて衣裳ももらって給料は五千円。ほかにチップがあるから一万円ぐらいになるそうだ。とにかく人間は貧乏じゃアいけねえ。金をもうける工夫をして、そのまた上にも工夫をして着々ともうけなくちゃアいけねえな。そうだろう」
「子供の世話を見ることができないじゃないか」
「それはオレがみるとしよう」
「じゃアお前さんは働かないつもりかい」
「イヤ。そうじゃない。子供の面倒を見ながら内職をやる。お前の内職は、なんだ」
「目の前でやってるじゃないか。針仕事だよ」
「そういうこまかいものはいけない。オレの考えでは、子供をつれて川なぞへ行って、魚をつる。ヤマメやアユならいい金になる。雨がふっても、アブレるときまったものではない」
「私が働いて一万円になる口があるなら結構な話だけどさ。大の男がウチでブラブラして子供の食べ物や小便の面倒まで見るのはあさましい図だよ。ニコヨンでもお前さんが働いてる方が世間の人にもテイサイがいいよ」
「お前が働いてなにがしの資本ができてしかる後にオレが商売でもはじめるようになればテイサイは立派なものだ。テイサイてえものは後々の物だよ。今はテイサイなんぞ云ってられやしないよ。なんでもいいから、もうけることをやらなくちゃアいけない」
「先様で使ってくれるなら働かないものでもないよ。私だって貧乏はウンザリしてるよ」
「それでなくちゃアいけねえ。これを人生案内てえんだ。人生のこういう時にはこういうものだということを、天下にオレぐらい深く心得ている人物はめッたにいやしない。ずッとそれを研究してきたカイがあった。オレが人生案内してやるから親舟にのった気持でオレにまかしときゃアいいんだよ」
 お竹は以前食堂に働いていた女である。支那ソバを売りこみに出入りしていた虎二郎に見染められて一しょになったが、当時は虎二郎の支那ソバも全盛時代で、お竹にしてもこの人ならと当時は思ったのである。お竹はちょッと渋皮のむけた女だ。虎二郎とは十も年がちがってまだ二十八。ちょッとつくれば相当見られる女であるから、当人の身にしても、この貧乏ぐらしでこのまま老いこむのは残念な気持はつよい。
 料理店へ願いでてみると、三日間のお目見得ののち、上々の首尾でめでたく採用ということになった。

          ★

 料理屋へ通いは田舎ではグアイがわるかった。東京とちがって交通の便が乏しいからだ。それでも深夜の一時に料理店の近所へとまるバスがあった。
 東京を十時に出発したバスだ。これがお竹を自分の町まで二十分ぐらいで運んでくれる。これに乗りおくれる心配はないが、この一ツ前の十一時発にはよく乗りおくれた。すると二時間ちかい穴ができる。これがよくなかった。
 同じ方向へお竹と一しょに同じバスで帰る仲間が二人あった。セツは戦争未亡人の大年増であるし、ヤスはお竹と同い年の近年夫婦別れしたヤモメであった。だいたいここの仲居に若い娘は少ないのである。
 セツとヤスはバスに乗りおくれるとナジミの客をさがしたり呼びだしたりして一時のバスまで小料理屋なぞで一パイおごらせる。場合によってはネンゴロになりすぎてバスにのらずにお客と消え失せてしまうようなことが少くないタチで、一しょにつきあってたお竹は一人とり残されたり他のお客にしつこく口説かれたりすることが度重なった。
「なにさ。私には主人がありますなんてタンカをきるのも程々にしなさいよ。なにが主人よ。あんなデコボコ。女房を働かせて自分はウチにゴロゴロしてさ。原稿用紙睨んでるのはいいけれど、小説でも書いてんのかと思ったら、人生案内の投書狂だってね。そんなの聞いたことないよ。私にはA子という婚約者がありますが、たまたま宴会に酔っての帰り友に誘われて泊った赤線区域のB子のマゴコロを知り忘れがたくなりましただってさ。読ませてもらってふきだしたよ。あれで三十八だってね。変なのと一しょにくらしているもんだわよ。あんな亭主に義理立てなんて人間の女がやることじゃアないわよ。雑種の犬とか青大将かなんかがあれでも主人と思って義理をたてる場合があるぐらいのものだわよ。あれ以下の人間なんていやしない。義理立てなんて止しなさいよ。お客と泊ってお金もうけした方がどれぐらい利巧か知れやしない」
 ある日ヤスが酔っ払って、たまりかねて、こうまくしたてた。ヤモメのヤキモチと見てやりたいが、実は必ずしもそうではない。山田虎二郎という存在がめッたに見かけられない珍種らしいということはお竹がちかごろめッきり感じはじめていたからであった。
 お竹は毎月五千円だけ家へ入れている。あとは自分の身の廻りの物やコヅカイに使い、また子供にも時々何かを買ってやったりしているが、虎二郎は父と子供二人の生活費五千円の十分の一で新聞を購読し、朝
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