なければならないのかということが甚だ負担に思われて、ややステバチのような気持にもならざるを得なかった。
 しかし、わが子が犬よりも可愛いと思うようになると、その不安も暗さも、だんだん薄れるようになった。別に、生きぬいて働く自信ができたわけではないが、なんとなくただ漫然と自信がついてきたのである。
 何よりも、子供が生れつき非常に健康で病的なところがないのが、私には奇蹟的に思われて、それが自信をつけてくれたのかも知れない。とにかく私は、自分が梅毒ではないかとか、カタワの子供が生れやしないかとか、生れた時からのキチガイで母親を蹴殺してオヤジにいきなり襲いかかるような妖怪が生れやしないかなぞと、最悪のことばかり考えていた。したがって、よい子が生れ、それをどう育ててどんなにするなぞという世間なみのことは全然考えていなかったのである。そんな子は生れる見込がないとやや絶望的にきめこんでいた傾きがあった。したがって、当り前の子供が生れたということだけですでに私には奇蹟的に思われ、それだけで自信がついたのかも知れないのだ。
 まったく私には子供が生れたということが今でも奇蹟的に思うような気持が強い。オ
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