してゐるし、十六歳の最初の詩は甚だ厭世的であるけれども、それは形が厭世的であるだけで深さも鋭さも全く十六歳の少年そのものである。鋭い狙ひもない。いはば彼のこの時代は少年詩人的な好奇心がすばらしく旺盛であるだけである。感覚も平凡であるし神経はむしろ鈍い。いはば形でこしらへた贋物といつていいが、あらゆる点に於て贋物の形が大きい。贋物としては本格的である。従而《したがって》、やがて後年ひとたび真実の形にはいると、全身をもつて物の真底にふれ懊悩しだした麒麟児の姿がハッキリ分るやうに思ふのである。神経の細い鋭さではなしに、いきなり全部的に投げ込むやうに物の奥底へふれていつた荒々しいのたうちが分るのである。ラムボオは十八歳頃からそろ/\大人になつたのであらう。いはば早熱な芸術家ではあつたが、神童ではなかつたらしい。凡そ神童とは反対に、脱皮の時機が来るまでは、常人の頂点を歩いて育つていつたものだと思はれる。私は中原の訳詩を読んでさう思つたのである。そして、このことから、後日のラムボオが尚よく理解できたやうに思へた。
底本:「坂口安吾全集 01」筑摩書房
1999(平成11)年5月20日初
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