はそこへ大巻博士を案内して、
「ホレ、ごらんなさい。これが温泉ですよ。つまり、あなたの一室のために便所と浴室と台所と女中が附属しているようなものですよ。これに不足を云ったら罰が当りますぜ。どこにこんな至れり尽せりの旅館がありますか」
「これで温泉気分にひたれというのかい」
「今に分りますが、ここの内儀《おかみ》は一流の板前ですよ。その他、サービス満点……」
 自信マンマンたる眼の色であるから、大巻博士も宿を得た気のユルミか、なんとなくたのもしくなってきた。
 大巻博士は内科の開業医である。よくはやるお医者であるから、温泉へでかけるようなヒマがめったにない。たまたま名古屋方面に所用あっての帰途、予定よりも一日早く用がすんだから、伊豆の温泉に途中下車して、旧知の川野水太郎と久々に一パイ飲もうと思い立ったのが、こういう結果になってしまったのである。
 一風呂あびてユカタにくつろぐと、なんとなく温泉気分になったのは妙なもの。そこで安福軒を相手に一パイ飲むと、なるほど料理もマンザラではない。安福軒は自分は飲まずに、すすめ上手。大巻博士は酩酊して、
「どうだい。席を改めて芸者をよぼう」
「それは、
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