せよ、大切なお客様に恥をかかせやしませんとも」
「ウーム。ホントか」
安福軒は散々アジッておいて、泥酔を見すまして姿を消した。あとは老婆が安福軒のムネをうけて宜しきようにはからい、酩酊した大巻博士は女主人と一夜のチギリを結んでしまったのである。
翌朝、女が沈んだ顔をしているから、
「気分でも悪いかね」
「いいえ。先生。お願いです。私を東京へ連れてって下さい。先生の二号にして下さい」
「いきなり、そんな」
「だって二号にしていただかないと、生きる瀬がないんです。主人がそうしろッて云うんですもの」
「主人とは?」
「昨夜《ゆうべ》の男です。私はあの人の二号です」
「安福軒があなたの旦那か!」
「そうなんです。お客さんを連れてくるたび、あの方の二号にしていただけと脅迫するんです。今までの恩返しに多くのことはするに及ばないが、応分の手切れ金をいただいてそれを置いて出て行けと云うんです。どなたかの二号にしていただかないと、もう我慢ができません」
女は思いつめたせいか益々無表情になりヨヨと泣き伏してしまった。
安福軒とはそんな奴かと気がつくと、せっかくの気分を損うこと甚大だ。女も気の毒ではあるが、そんなことに構っていられない。大急ぎで帰り仕度をととのえる。こうなることを予想していたらしく、安福軒にもヌカリはない。
「もうお帰りですか」
と老婆が出てきて勘定書を差出す。明細な勘定書で、昨夜のうちに安福軒がつくっておいたものだ。安福軒の飲食代もむろんその中に書きこんである。花代として芸者の三倍もの値がついている。チップもヌカリがない。
「ここに朝食とあるが、朝食は食べずに帰るから」
「朝食は宿泊のオキマリでして、召上らないと、御損ですよ」
「二人前とあるが、安福軒の朝食も私がもつ必要があるのかい」
「それは、あなた、芸者衆の朝食ですよ。これも遊びのオキマリですから。いかが? 一本おつけ致しましょうか」
「バカにするな」
「これにこりずに、またどうぞ」
大巻先生ホウホウのていでこの閑静な旅館からとびだしたのである。
左巻き教祖
それから一年すぎた。ある日、東京芝の大巻先生の病院へ、安福軒が例の婦人をつれてきた。
「どうも、先生に泊っていただいて、それから間もなく精神病らしいんですがね。どこか精神病院へお世話願えませんか」
というのである。
仕方がないから、一応女を診察室へ呼び入れて様子を見ると、なるほど普通じゃない。人間どもがみんなバカに見えるらしいのである。
「何ですか。お前は偉そうな顔をして。私がジッと睨んでやると、お前なんか、ほら、たちまち掌の上の小人のように小ッちゃくなるんだから」
女は大巻先生を変に色ッぽく睨みつけて、カラカラと高笑いした。
「ここ、病院でしょう?」
「そう」
「フン。私がお前を見てあげるから、ピンセルチンを出しなさい」
「ピンセルチン?」
「お前の病院には、ないでしょう。じゃア、聴診器や体温計はいらないから、メスをだしなさい。お前の悪い血をとってあげる」
危険思想を蔵している様子であるから、大巻博士も面くらい、折よく診察を乞いにきた呉服屋の番頭の日野クンという如才のない人物に見張をたのんでレントゲン室へ遠ざけた。さて、安福軒をよんで、
「君もひどい人だね。私に以前イヤな思いをさせといて、オクメンもなく女をつれてくるなんて」
「イエ、それがね。アレが先生のお噂をするんですよ。先生にお会いしたいなんてね」
「ウソ仰有《おっしゃ》い。私の顔を覚えていない様子じゃないか」
「今はそうですけど、そこはキチガイのことですもの。それは、あなた、時によっては、先生のことをとても深刻に思いだすらしい様子ですよ」
たぶんチャランポランだと思うけれども、安福軒の口にかかると、なんとなく嬉しいような気持になるのがシャクである。しかし、いつも舐められていたくないから、タダ追い返すのは面白くない。今回は仕返しにイタズラしてやろうと大巻先生は思いついたのである。
「しかし、君の彼女はキチガイになって益々気品が高まったじゃないか。私を見下してカラカラと笑った様子なぞ、キチガイというよりも、神人《しんじん》的だね。私はゾッとしましたよ。何か威に打たれたような思いだったよ」
「そう云えば、気品と色気は益々横溢しているようですな」
「彼女を精神病院へ入れるなんてモッタイないね」
「なぜですか」
「君も目ハシの利く商人に似合わず迂遠な人だね。彼女に神人の性格を認めないかね」
「つまり教祖ですか」
「左様、左様。医者の使う道具や薬の中にピンセルチンなんてものは存在しないが、あれはたぶん作語症というのだろう。自分独特の言葉をもっているのだよ。これも神人の性格じゃないか。人間どもがみんなバカに見えて、睨みつけると、掌に乗ッか
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