くすすめる。
「では」
と大巻先生が上衣をぬぐのを待って、
「どうぞ、こちらへ」
教祖が腕をとって部屋の上手へつれて行って坐らせた。
「この辺がお悪いのですね」
教祖は彼の正面に坐り、彼の胃のあたりに軽く手を当てて、ジッと顔をのぞきこむ。
すでに教祖の表情は変っていた。武芸者のような無表情。あるいはキツネのお面をかぶったようだ。大巻先生はキヌギヌの彼女の泣きぬれた顔を思いだした。これと同じような突きつめた顔をして、やがてヨヨと泣き伏したのである。性慾を絶した可憐な気品がこもっていた。
胃に当てた彼女の手が、重い石のように、まっすぐ、力強く、くいこんでくる。すこしもふるえていない。そして大巻博士が何よりも意外だったことは、彼女の密接した身体から、彼女の呼吸も、脈搏も、女の体臭すらも感じられなかったことである。
彼女が手を放す。すべてが、にわかに軽く、明るくなった。そして大巻先生はふと気がついた。
「そうだ。オレは熱のことを忘れていたぞ。イヤ。全てのことを忘れていたような気がするな。しかし、なんて軽くなったのだろう」
にわかに現実へ連れ戻されたような気がしたのである。彼は思わず感嘆の叫び声をあげた。
「ヤ。なんて、すばらしいのだろう。まるでにわかに身体が半分の余も軽くなったような気がするぞ」
「そうだろう。君のその顔を見れば分るよ」
と川野がうれしそうに和した。
教祖は武芸者が試合を終えたあとのように、立膝をして、タタミに片手をついて身を支え、目を軽く閉じて、まるで失心しているような様子であった。全霊をあげたあとという感じであった。そこにも性慾を絶したものを大巻博士は見たのである。
「これが宗教だろうか。これが宗教の魅力だろうか」
彼はそう考えて突き当ってしまったのである。イエスともノーとも答えられない。
神サマも勝てない男
二人が本部の表玄関の前までくると、安福軒が待ちかまえていた。彼はニヤリ/\笑っているだけだ。首尾はお訊きしなくとも分っています、という様子だ。
「エイヤッ。エイヤッ。エイヤッ」
という剣術の稽古のような激しい気合が道場の中から起っている。
「ちょッと来てごらんなさい」
安福軒は二人を道場の入口までみちびいた。中には男女がギッシリ坐っている。何か唱えているかと思うと、突如として、片手をアッパーカットのように鋭く
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