ことは、その委員が声明してゐるところである。
 けれども、すこし、やりすぎた、と私は思ふ。それは簡単ではなしに、わかりにくゝなり、明快よりも難渋になつてゐるからで、新カナヅカイも読みにくいし、漢字制限も読みにくい。委員は馴れの問題だといふが、私はさうは思はない。馴れだけでは割りきれない不明瞭さが大いに混つてゐる。
 この春、朝日新聞社で座談会があつたとき、司会者の岩上順一先生が、私にかう云つた。私の小説「花妖」の妖の字は今度の漢字制限には無くなつた字であるが、それをなぜ使ふか理由をきゝたい、といふのである。
 そこで私はバカバカしくて言ふまでもないことだけれども、仕方がないから、文部省が新カナヅカイや漢字制限をしたからと云つて、なぜ我々が無批判にそれに従はねばならぬのか。それに対して批判を加へるのが我々文学者の義務ではないか、役人のつくつた天下りの新文法に盲従しなければならないといふアナタの考へが妙ではないか。私はかう答へた。
 民主々義だの何だのといひ廻る岩上先生はかういふバカなことを言ふ先生なので、いつたいに左翼的な人たちはみんな役人型であり、ファッショ型だと思へば間違ひがない。
 本当の批判精神は彼らにはない。なぜなら、まことに誠実なる自我、即ち人間への省察がないからなのである。

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 漢字制限の方は、もう近ごろでは新聞雑誌社でもその不備に気がついて、色々自我流の細工を施して読み易くする適当な効果をだしてゐるやうだ。二字のうち一字が漢字で一字がカナであつたり、三字の上と下がカナで真ン中だけが漢字であつたり、ひどく読みにくゝて話にならない。これは決して馴れの問題ではなく、日本語を構成してゐる基本の原則に関することだから、単に漢字を制限したゞけで、どうなる性質のものではないのである。
 むしろヒラガナとカタカナを混用させ、なるべく難しい文字の名詞はカタカナで書け、そんな風な法則について工夫をめぐらした方がよろしいと思つた。
 私らのやうに文士たちは、なんとかして、自分の作品が誤読されないやう、又、読みやすいやうにと色々と考へる。そこで、私はなるべく難しい漢字は使はぬ方法をめぐらし、できるだけカナで書くやうにつとめるけれども、ヒラガナが十五も二十もつゞくと読みにくいものだから、適当に漢字を入れて読み易くする、そこで私は「出来る」とか「筈」といふ変な漢字をよく用ひるが、それは、これらの文字がたいがいヒラガナの十も十五も連続する時に使はれ易い字だからで、そんな時に漢字を入れると読み易くなるものなのである。漢字制限も、制限するのが主意ではなく、読み易くすることが主意でなければならぬ筈[#「筈」に丸傍点]であらうと思ふ。つまり、かういふ際の「筈」のやうに、こんな時に漢字なりカタカナなりを入れると、読み易くなるものなのである。

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 右の場合と同じ意味で、新カナヅカイも、そのために、むしろ読みにくゝなつてゐる。先日の新聞に「覆ふ」が「おおおお」だといふ例がでてゐたが、なるほど、これは一面、カナヅカヒの罪ではなく、言葉のせゐだといへば、それもその通り。私もこんなのにぶつかると、「おおおお」などと書くかはりに「かぶせる」といふ別の言葉を自然に用ひる。昔の文章道の名人大家はノッピキナラヌ言葉などといふけれども、僕のは用を弁じて足りればよろしいタテマヘだから、こんな時にはアッサリ「カブセル」と変へて、すましたものだから、たいして驚きも困りもしない。
 けれども「おおおお」が「かぶせる」で間に合ふやうに万端まに合つてくれゝばよろしいけれども、万事につけて、さう都合よく運ぶものではない。
 私が新カナヅカイの委員の人々が、やりすぎた、といふのは、そこのところで、読みにくゝしてはいけない。
 先づ第一に暫定的だといふけれども、相当決定的な御様子で、あんまり暫定的らしい面魂でもないのが第一の失策。いきなり大幅の変改をせず、半永久的な委員会をもうけて、常に少しづつ、変へて行く。変へるたびに、常に読み易く、覚え易く、便利になるやうに変へて行く。
 第一回目の変へ方としては、「やう」と「よう」とか、「い」と「ゐ」、「え」と「ゑ」、語尾の「ふ」と「う」、「い」と「ひ」、「わ」と「は」、まアそんなところ、不勉強な書生が最も悩まされるあたりに就て、その見当で変へるのが第一だと思ふ。
 私はカナヅカイも漢字もろくに知らない不勉強者だから、さういふツマラヌ心労や不満がよく分るのだが、委員諸家は学者方だから不勉強者の心事など御存知ないに相違ない。また、一般の作家、学者の方々も秀才に相違ないから、僕の不満反感に同情がないかも知れぬが、僕はどうも、「やう」だか「よう」だか、「ふ」だか「う」だか、「え」だか「ゑ」だか、そんな心労
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