のために書かれてゐる。現実をたのまず自ら変化することを望む好学的な、そして私流の言ひ方で言へば、反逆的な、闘争的な、破壊的な人々のために書かれてゐる。純粋な青年のために書かれてゐる。
然し芸術は理論でない。芸術は理論的に説明し得るものではない。若し理論によつて説明し得る芸術があるとすれば、それは本来芸術ではなかつたのだ。芸術は芸術それ自らのもつ感銘によつて読者に訴へるものだ。
私は昨日までの二日間に於て、新らしき文学の本質問題を述べ、従来の末梢的な新興文学と称するものを否定し、プロレタリア文学を否定し無気力な老人趣味的文学を否定した。そして、反逆的な、それ故、時代創造的な意志によつて、血と肉の人間悲劇を語るのが文学であることを述べた。私に許された紙数は至極簡単な、いはば骨組的な荒筋を述べるほかに仕方がなかつたが、然したとへ幾十枚の紙数を許されたにしても、理論は結局理論でしかない。いかほど具体的に詳述するとしても、芸術家は芸術以外に武器はない。
今度我々九名の同志が新らしき文学の建設を意図して「桜の会」を結成し、機関紙「桜」を発刊した。我々の仕事はこれによつて其の実際を知つていたゞきたい。
私は確言するが、真実の文学は今我々の仕事のほかにない。
諸君は私の此の言ひ方を愚な宣伝と冷笑してはならない。懐疑それ自身は別である、突きつめるところ、自信なく、且つ自己を主張せんとする因循な衒学的な気取りはもう私に必要でない。我々の時代には飛ぶ矢は常に飛んでゐる。身をもつてなす仕事には悔なく自分を主張しなければならぬ。雑誌「桜」を読んでくれたまへ。ここに真実の新らしき文学がある。
底本:「坂口安吾全集 01」筑摩書房
1999(平成11)年5月20日初版第1刷発行
底本の親本:「時事新報 第一七九二九号〜一七九三一号」
1993(昭和8)年5月4日〜5月6日
初出:「時事新報 第一七九二九号〜一七九三一号」
1993(昭和8)年5月4日〜5月6日
入力:tatsuki
校正:noriko saito
2009年4月19日作成
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