ない顔でもどる。すると仙七はすでにちゃんとポータブルを前に坐っていて、
「術の前後に音楽をならす。術者はこの音楽中に徐々に術の状態に入り、また音楽中に徐々に術の状態からさめる習いになっておる。音楽をならす場合を心得てるのは私だけだから、これを私がやる。曲はユーモレスクだ。誰か電燈を消しなさい。タバコを御遠慮を願う」
そのために灰皿の用意もなかったのだ。タバコを吸ってる者が慌ててタバコの箱で火をすり消したりしているうちに、糸子が立って電燈のスイッチをひねった。仙七がよその座敷や廊下の電燈を消しておいたので一瞬にして真の闇になってしまった。テーブル上の夜光塗料をぬった品物だけが浮いて見える。
「オーウ」
という遠い山のフクロウのような声がきこえた。はじめて発した吉田八十松の声なのである。するとそれにつづいてポータブルが廻りはじめた。あまりその場にふさわしくないややカン高の音楽であった。
その音楽が終りの方に近づいた一瞬、九太夫にとっては思いがけないことが起った。テーブルの向う側にドーンと重い何かが落下したからである。テーブルの上のものではない。それはそのまままだ動いたものがないからで
前へ
次へ
全53ページ中19ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング