たわけですが、え? ハモニカや笛は吹けなかったはずだと皆さんが仰有ってるんですか。それはあのハモニカや笛は吹ける道理がありません。別のハモニカ別の笛を吹いてるのですよ。口にくわえッ放しにね。夜光塗料のぬってない別の物、ポケットの中の品物です。で、結局私には後閑さんの殺されなすッた音をききわけることができなかったのですが、たぶんあのガラガラの最中ですね。あの音響の最中に皆々悩まされたあげく方々に溜息や呻き声が起りました。たぶんその一ツが被害者の苦悶の呻きではなかったでしょうか。うまく重なったものですよ。偶然です。たぶん犯人は音楽がはじまると同時に行動を起し被害者の後へまわって音楽の発する位置をたよりに狙いをつけていたものと思われますが、たまたまガラガラのチャンスを利用して非常に安全に目的を達することができたのですね。ガラガラがなくたって目的は達せますが、いくぶん危険ですね。苦悶の声や何かで早く判ってしまうでしょう。もっとも電燈をつけるまでには間があるでしょうから、自分の元の位置へ戻る時間に不足はないと思います。しかし呼吸の乱れや何か、隠しきるには一苦労も二苦労もしなければならぬ道理です。犯人の心当りですか。それがとんと分らぬのです。注意はもっぱら心霊術の方に吸いとられておりますし、吉田八十松さんがあれだけ歩きまわっても音のしないように仕掛けたジュウタンですから、忍び足の犯人の気配が分るものではありません。それが判るぐらいなら心霊術の縄ぬけの手品がすぐ判る道理じゃありませんか。見物人には吉田八十松さんが縄ぬけして前の方まで歩いてきて手品の数々をやっているとは気がつかないのですからね。事件発覚後の各人の挙動についてですか。左様ですね。各人一様に茫然たる有様という以外に特別の不審の者はおりませんでしたね。警察へ電話をかけに糸子さんが外へでました。しかし他の者一同はいましめあいました。警官の到着まで外へでた者はありませんでした。誰しも疑られるのはイヤですから、外へ出たいと云った者もおりません。そうこうしているところへ、吉田八十松さんが仕方なく自分で縄をといて出てきました。あの人にしてみれば自分で縄ぬけできるのを人に知られたくないわけですが、様子が判ってみればいつまでもボックスに鎮坐していられなくなったのでしょう。もっとも、殺人どこ吹く風というように、手首をもんでいるばかり、一言も喋りませんでした。ちょッとした変人ですね。心霊術師としては奇術の腕がたしかです。私が見たうちでは一番と申せましょう。夜光塗料をぬった道具類のさばきなぞはあざやかで、ハモニカを口にくわえて吹きながら、他のハモニカとメガホンとラッパの三ツを同時に空中に使いわけたのは一寸《ちょっと》したものです。私ならもっとうまくやってのける自信はありますがね。どうも奇術の話ばかりで恐縮ですが、それしか注意していなかったんですから、どうにも仕方がありません。

  茂手木の証言
 仰有るように、ぼくが被害者に最も近い位置にいたわけなんですが、大変な音響でしたし、奇術にばかり心をとられていたものですから、人の気配も、被害者の刺された気配も、全く気がつきませんでした。え? 犯人の心当りですッて? あの場合、誰だって後閑さんを殺すことができましたよ。あれぐらい人殺しにお誂《あつら》え向きのチャンスはありませんねえ。それはもうあの場に居合わせた全員が容疑者ですよ。全員が犯人でありうるのです。むろんぼくなぞ位置は近いし疑られても仕方がありませんが、ぼくがあの人を殺す理由がないじゃありませんか。問題は結局なぜ殺したか。その理由、動機というものの問題ではありませんかね。え? 勝美にも遺産の四分の一がころがりこむのですか。いえ、一向に存じませんでした。他家へ縁づいた女にまで均等の遺産がねえ。相続なんてえことを考えてみたことがありませんので、そんな新法律は全く知りませんでしたよ。え? ぼくの職業ですか? 土建会社の平社員ですよ。社長の秘書、悪く云えば用心棒ですかね。法律には縁がありません。

  吉田八十松の証言
 あの人が奇術師の伊勢崎九太夫ですか。それじゃアどうも嘘をついてもはじまりません。あの人の名は心霊術の仲間うちでは評判でしてな。こまったお方が現れたものですな。それはもうあの方の仰有る通りで。縄をぬけて前方へでて曲芸をやったわけですな。丸一小鉄をへタにした曲芸を暗闇でやるわけなんです。いえ、あれだけが心霊術ではありません。他にたとえば翌日やるはずになっておった幽霊をだして物をきき物を語らせるというのがむしろ心霊術の主眼ですが。え? その種あかしですか? そればッかりはカンベンして下さい。それを知られてしまえば元も子もなくなるのでしてな。ま、私は私なりに発明した手法などがありましてな。他の業者
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