勝美とミドリも、父のコンタンは判らぬながらも、とかく兄の未亡人とその子と称するビルマ人に乗りこまれては迷惑だ。たとえ父の道具にすぎない異国人でも、かりにも兄の未亡人とその子とあっては自分たちに都合のよくなるはずはない。心霊術のお告げのインチキはぜひとも見破って無効にすることが何よりなのだ。
 だから辰男らの九太夫にたのむところは絶大で、特に辰男は日どりの確定を伝えがてら九太夫の旅館を訪ねて、
「このたびはとんだお世話に相成ります。実は今朝早朝の銀河で心霊術の先生が到着いたしましてね。相談の結果、兄貴の霊をよぶ方を後廻しにいたしまして、今晩八時半から実験会の方を催します。どうぞ、よろしくお願い致します」
「左様ですか。承知しましたが、場所は?」
「父の邸で」
「それは珍しいことです。同好家の邸内ならとにかく、見知らぬ依頼者の実験に応じる時はたいがい旅館でやるものですが。運びこんだ大道具が大変でしたろう」
「それは大そうな荷物です。丸通便の宅送で相当な大荷物が一ツ。駅どめの荷物ときてはこれに輪をかけた大荷物で、おまけに当人自身が大トランク二ツぶらさげてきました。ただいまこれを開いて人を遠ざけ、自分一人でせっせと会場の準備を致しておりますが、宅送便の方がちょッとおくれて、ヒルすぎに到着いたしましたんで、オヤジと何やらモンチャクを起しておりました。この荷物は今日は使わないようです。これがいわゆる降霊術の七ツ道具かも知れません」
「そのために霊の対面が後廻しになったのですか」
「立ち入ったことは判りませんが、だいぶ父と相談いたしておったようです。父も大そう乗気でして、いつも熱海には土曜の夕方に来て月曜の朝に東京へ戻って、月曜からは東京泊りの習慣ですが、今回に限って木曜の夜こちらへ来て金土と出勤もせずに熱海泊りです。忙しい人間なんですが、よくよくでなくちゃアこんなことはありません。母が死んだ翌日ももう東京へでかけたんですからね。よほどの期待があるんですよ。いえ、何かただならぬコンタンがあるんですよ。さもなくちゃアこんな例外がある道理がありません。ぼくもね、ビルマから変な奴に乗りこまれちゃア先が真ッ暗になッちまうもんですから、旦那だけが頼みの綱で。どうか、まア、よろしくお頼みいたします」
 三拝九拝のていで、くれぐれも頼んで戻ったのである。
 その晩八時に勝美とミドリの車に迎えられて九太夫が後閑仙七の邸へついてみると、応接室には男の先客が二人いた。一人は勝美の良人茂手木文次、他の一人はミドリの良人岸井友信であった。岸井は同じ旅館業であるから組合の会合なぞで顔を合わせて知り合った間柄だが、茂手木の方は東京住いの勤め人であるから初対面だ。しかし一見したとき、ハテ、見た顔だなと思ったのである。
 九太夫は商売柄、注意力、観察力、記憶力なぞが非常によい。ちょッと印象に残った顔は電車に乗り合わせただけの顔でも季節場所なぞと共にその顔を忘れないようなタチである。茂手木を一目見て、これは軍隊で見た顔だと思った。五尺八寸もある大男、ガッシリした骨組、四角のアゴ、鋭い眼。
 やがて九太夫はアリアリ思いだした。支那で見た少尉だ。大学をでたばかりの鬼少尉だ。人斬り少尉だ。便衣隊の容疑者とみると有無を云わさず民家の住人をひッたてて得意の腰の物で首をはねていたという鬼少尉。強盗強姦にかけてはツワモノで、彼は部下に大モテだった。部下は余徳にありつけるからだ。
 九太夫は戦時に奇術師として諸方に慰問旅行をした。そのとき中支の奥の日夜銃声の絶えないところで、この少尉の部隊を慰問した。彼が部下をひきいて討伐にでかける姿を見たのである。そして彼の怖るべき所業の数々をむしろ讃美して語る人々の話をきいたのである。
 当然戦犯として捕えられて然るべき人物だが――と九太夫は考えた。こういう人間に限って急場の行動迅速で、雲を霞と三千里、昨日の敵は今日の友、めったにバカを見ることがないのであろう。
「たしか中支の奥でお目にかかりましたなア。私は奇術の慰問にでかけたんですが、慰問のはじまる前に討伐におでかけでした。その名も高い鬼少尉と承りましたが」
「いえ、とんでもない。ぼくは内地の部隊にゴロゴロしてたんです」
 茂手木はプイとソッポをむいて、つまらないことを云うなとばかり、タバコの煙をプウプウふいた。

          ★

 奇術は二階の十五畳の座敷。着席して九太夫はおどろいた。
 床の間を残して全部暗幕をおろしているのは当然だが、天井まで暗幕でおおうている。下はジュウタンを二重にしきつめているのである。
 これではどんなカラクリでもできるではないか。天井の暗幕の上からも、ジュウタンの下からもコードやヒモの細工ができる。このように暗幕とジュウタンで完全なトーチカをつくるのはもっ
前へ 次へ
全14ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング