この姉妹には少々ビックリさせられた。心霊術のカラクリ同様、人間の心のカラクリも概ねタカの知れたものであるが、後閑仙七一族の心ばかりは人間なみでは計りきれないような感じをうけた。心霊術の実演よりも後閑一族の心のモツレを目にする方がどれぐらいまたとない観物《みもの》だか知れない。多年きたえた奇術師の眼力でとくと観察してみようと思ったのである。

          ★

 後閑仙七が息子の霊をよんでビルマの孫をつれてくるなぞというのは、どう考えても額面通りには受けとれない。そもそも仙七は長男を特別扱いしていなかった。一寸法師や娘たち同様ヤッカイ者扱いで、それでも大学へは入れてやった。すると召集をうけたから、名誉なことである、わが家の誇りでもある、大いにお国のために働いて下さいと大そう感動ゲキレイしたのはヤッカイ者が一人へって大助かりだという気持からの国家への感謝感激のアラワレであったろうと人々は推察した。他に特別の愛情を示した例はなかったのである。
 そういう次第であるから、そもそも息子の幽霊が仙七に一目会いに現れたなぞというのが大いにマユツバ物で、もしも生き残ってビルマに土着したのが事実とすれば、日本へ帰って仙七の顔を見るのがやりきれないせいだろう。仙七の妻女は二年前に死んだが、そういう時世ではないからと云って葬式もだしてやらなかった。もっとも、勝美、ミドリ、糸子の姉妹三人はそれには至極賛成で、愛情のない葬式なんかださない方がよい、お体裁にナムアミダブツなぞ唱えるのは却って不潔でいやらしいという説であったが、一寸法師の辰男だけが不満不服をもらしたのは母に愛情が強かったせいであろう。母は一寸法師が宿の客ひきをして大荷物をブラさげてよたよたしているのを気の毒がっていた唯一の家族だったからである。
 しかし、とにかく仙七がビルマの孫をひきとると称し、その所在を知るため長男の霊をよぶと称してはるばる大和から吉田八十松という心霊術師をよびよせることになったのは事実であるから、そもそも彼の真のコンタンは何であるか、兄妹そろって先ずもってこう考えたのは当然であろう。
 ところが半年ぐらい前から仙七の様子にいささか変なところがあった。時々陰鬱な顔で放心しているようなことがあったのである。陰鬱なのは今にはじまったことではないが、放心を人に見せるような仙七ではなかった。また時々イライラ、
前へ 次へ
全27ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング