とも得体の知れない形で始末をつけているのであるから、何事もこの老蝮の手にかゝると奇々怪々な形になってしまうのである。彼は上洛の信長軍に負けて逃げのびて降参したが、敗北して逃げる何ヶ月も以前から、とっくに信長に降参して、自らその上洛をすすめていたのであった。
 降参した老蝮は、さっそく信長を訪問して、京都の治安はこうされたらよろしかろう、などゝ色々献策した、が切支丹《キリシタン》の弾圧は必要大切でござるなどと云ってバテレンどもを怒らせた。
 こうして、義昭は老蝮を八ツ裂きにできなかったが、ともかく念願の将軍位につくことができた。そのとき、信長依存の交渉に立ち働いた義昭の二人の重臣がいた。一人は正直者の和田惟政であり、一人はインテリ兵法家明智十兵衛光秀であった。そして光秀は義昭の推挙によって信長の家来となった。
 こうして、信長という悪魔の天下は、蝮やら曲者やらのうごめきの上に、魔法のラムプの一夜の城の如くに忽然として現れてきたのであったが、そも、信長とは何者であるか、これこそは、当時にあっては、さらに大きな謎であった。

          ★

 信長とは何者であるか。家来にも分らない。彼を育てた忠義一徹の老臣は、餓鬼大将のタワケぶりに絶望して、自殺した。
 餓鬼大将はケンカだけは強かった。ケンカの稽古は大好きだ。そして、当時流行の短槍よりも、長槍の方が有利であると見ぬいて、自分の家来に三間半の長槍をもたせたほど、幼少にしてケンカの心得にレンタツしていた。四月から十月まで河に入りびたって水練は河童の域に達し、朝夕は馬の稽古、弓を市川大介に、鉄砲を橋本一巴に、兵法を平田三位に、これが日課で、外に角力《すもう》と鷹狩は餓鬼大将の時から死に至るまでの大好物、天下統一の後もハダカになって小者と角力をとっていた男であった。
 ケンカ達者の餓鬼大将は、その要領で戦争して、まア、なんとなく、勝っていた。家来たちには、そうとしか思われなかった。
 信長は今川義元を破って、バカ大将、一躍して天下疑問の名将に出世したが、家来たちには、偶然の奇蹟、まぐれ当りという疑惑が、知らない他人たちよりも強く残って頭から放れなかった。
 今川義元は東海の重鎮、名だたる名将であり、天下統一の万人許した候補者であった。その家柄は足利につぐ名門だ。これにくらべれば、信長は、小大名の奉行の倅《せがれ》にすぎず、腕ッぷしにまかせて、主家をつぶし、同族を倒して自立した田舎のケンカ小僧にすぎないのだ。
 今川勢四万の大軍の攻撃をむかえる織田勢は三千そこそこ、出て戦えば一つぶしであるから、軍評定の重臣たち、満場一致、清洲籠城ときまったが、餓鬼大将は、たった一人、断々乎として反対した。そのとき信長は、勝負は時の運だよ、と言った。彼には、それが全部であり、そして、それだけで、よかったのだ。なぜなら、彼はなすべき用意はしつくしており、そしてイノチをかけていた。してみれば、彼にとっては、あとは運がすべてゞあった。人為のつくされたとき、あとの結果は運という一つの絶対に帰する筈だ。そこには悔いはないのである。百万人の幾人が、自若としてかゝる運を待ちうるであろうか。
 織田氏の所領にくいこんで、今川方の大高城があった。今川軍は織田の砦を諸方に蹴ちらしもみつぶしつゝ進んでいたが、やがて大高城にとりついて休養し、兵糧を入れて前進基地とすることが明かであった。信長は大高城の前方左右に丸根、鷲津の二つの砦を構え、佐久間盛重と織田|玄蕃《げんば》にまもらせて、今川勢の進軍を待っていた。
 今川勢は丸根、鷲津にせまってきた。その警報が櫛の歯をひくが如くに飛んでくるという夜、信長は軍評定は全然やらず、もっぱら世間話に夜ふかしをして、夜も更けた、もう帰れ、と家来たちに帰宅させた。家老たちは城を出ると顔を見合せ、運の末には智慧の鏡もくもるというが、バカ大将も今日が最後だと云って、てんでに信長を嘲弄しながら夜道を歩いて帰ったのである。
 あくる未明だ。今川勢が愈々鷲津丸根にとりついて攻撃をはじめたという注進がきた。
 そのとき信長は立ち上り、朗々とうたいながら敦盛《あつもり》の舞いをはじめた。
 人間五十年
 化転《けてん》のうちをくらぶれば
 夢幻《ゆめまぼろし》の如くなり
 一度生を得て
 滅せぬものゝあるべきか
 信長終生熱愛の謡であり舞であった。彼の人生観ぐらい明快なものはない。この謡の文句で足りた。イノチをかけていたからだ。
 謡が終えたが信長はまだ舞っていた。そして、舞いながら、ホラガイを吹け、具足をよこせ、そして舞いながら具足をつけ、立ちながら食事をとり、カブトをかぶり、なお舞いながらスルスルと出陣してしまったのである。
 家来たちはバカ大将に呆れ、帰宅して、ねむっている。ホラガイの音に目をさま
前へ 次へ
全10ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング