父の葬儀の焼香に現れた信長は袴をはいていなかった。髪は茶筅髪《ちゃせんがみ》、つまりフンドシカツギのマゲだ、腰の太刀にはシメ縄がまいてある、悪太郎が川の釣から帰ってきたような姿で現れ、仏前へズカズカとすゝんで、クワッと抹香をつかんで仏前めがけて投げつけた。
死者は何ものであるか。白骨である。仏者の説く真理であり、万人の知る真理であるが、果して何人がその真相を冷然と直視しているであろうか。
悪童信長は街を歩きながら、栗をくい、餅をほおばり、瓜にかぶりつき、人の肩によりかゝったり、つるさがったりしなければ歩かなかった。呆れ果てたるバカ若殿、大ウツケ者、それが城下の定評であった。
信長を育てた老臣平手|中務《なかつかさ》は諌言の遺書を残して自殺した。その忠誠、マゴコロは、さすがの悪童もハラワタをむしったものだ。悪童は鷹狩で得た鳥を高々と虚空へ投げて、ジジイ、これを食え、と言った。水練の河辺に立って、時々ふと涙ぐみ、川の水を足で蹴りあげて、ジジイ、これをのんでくれよ、と叫んだ。おのれを虚《むなしゅ》うするものゝみが、悪党の魂に感動を与える。信長が秀吉の忠誠に見たものも、おのれを虚うするマゴコロだった。家康の同盟に見たものも、それにちかい捨身の律義であった。不逞の野望児信長は、せめて野望の一端がなる日まで、マゴコロのジジイを生かして、見せてやりたかったであろう。然し、悪童の狂態は、ジジイの諌死にかゝわらず、全然変りは見られなかった。
マゴコロのジジイは大ウツケ者のバカ若殿の未来を按じて、隣国の斎藤道三の娘をもらって信長にめあわせた。斎藤と織田は美濃と尾張に隣り合せて、年来の仇敵であり、攻めたり攻められたり、互角に戦って持ちこたえたが、バカ若殿の代になると、たちまちやられる憂いがある。ジジイはそれを怖れたのである。
斎藤道三も六十ぐらいのジジイであった。これが又、当時天下に隠れもない大悪党の張本人の一人であった。かの老蝮は天下の執政である、この色男のジジイは大名である。地位に多少のヒラキはあるが、悪逆無道の張本人と申せば、当時誰でもこの二人のジジイに指を折り、その三木目は折らなかったものである。
浪士の家に生れ、幼少の折、京都の妙覚寺へ坊主にだされた。花のような美童で、智慮かしこく、師の僧に愛され、たちまち仏教の奥儀をきわめて、弁舌のさわやかなこと、若年にして名僧と
前へ
次へ
全20ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング