ものでもないだろう。
家の制度というものが、今日の社会の秩序を保たしめているが、又、そのために、今日の社会の秩序には、多くの不合理があり、蒙昧があり、正しい向上をはゞむものがあるのではないか。私はそれを疑るのだ。家は人間をゆがめていると私は思う。誰の子でもない、人間の子供。その正しさ、ひろさ、あたゝかさは、家の子供にはないものである。
人間は、家の制度を失うことによって、現在までの秩序は失うけれども、それ以上の秩序を、わがものとすると私は信じているのだ。
もとより私は、そのような新秩序が急速に実現するとは思わず、実現を急がねばならぬとも思っていない。然し、世界単一国家の理想と共に、家に代る社会秩序の確立を理想として、長い時間をかけ、徐々に、向上し、近づいて行きたいと思う。
私は思うに、最後の理想としては、子供は国家が育つべきものだ。それが、理想的な秩序の根柢だと思っているのだ。
その秩序によって、多くの罪悪が失われ、多くの蒙昧が失われ、多くの不幸が失われ、多くの不合理が失われる。人情が失われる代りに、博愛と、秩序の合理性が与えられる。本能の蒙昧に代って、正しい理知が生活の主体となるだろう。
人間は個の歴史から解放されて、人間そのものゝ歴史のみを背景とし、家の歴史を所有しなくなることだけで、すでに多くの正義を生れながらに所有するに至るだろう。
戦争は終った。永遠に。我々に残された道は、建設のみである。昔ながらのものに復旧することを正義としてはならないのだ。こりることを知らねばならぬ。常に努力と工夫をもち、理想に向って、徐々に、正確に、めいめいの時代をより良いものとしなければならない。
私はくりかえして云う。戦争の果した効能は偉大であった。そして、戦争が未来に於て果すであろう効能も、偉大である。即ち、世界単一国家と、家の制度に代る新秩序の発生。
すでに戦争の終った今日、我々は戦争が未来に果すであろう役割を、平和な手段によって、徐々に、正確に、実現してゆかなければならないのである。
古きものを、古きが故に正しとみる蒙昧の失われんことを。まことに、まことに、そうあれかし。
底本:「坂口安吾全集 07」筑摩書房
1998(平成10)年8月20日初版第1刷発行
底本の親本:「人間喜劇 第一一号」イヴニングスター社
1948(昭和23)年10月1日発行
初出:「人間喜劇 第一一号」イヴニングスター社
1948(昭和23)年10月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:富田倫生
2008年6月10日作成
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