もとむるのが当然ではないか。
 現実に即して、今までには無かったが、然し、必要なる当然の組織や方策を、工夫し、発明して行かねばならぬ。文化とは、そういうものだ。政治とは、そういうものだ。現実に即して、工夫と発明の努力がなければならない。新しい工夫を欲しない蒙昧な保守性、こりることを知らず、虫の如く勤勉な、日本的反文化的性格をくずすことを知らねばならぬ。
 非文化的な保守性というものは、逆に軽率なお先棒かつぎとなり、軽率な急進的外形を見せるものである。
 たとえば、落語家が、戦争中は、軍部に迎合して、エロ落語を地下にうずめて塚を立て、いっぱし高座の上から、軍国的お説教をきかせて得々たるものであったが、民主主義になったら、エロを墓から掘りだし、代りに、殿様の落語は反民主的だと、これを墓に入れたという。こりることを知らないのである。これも亦蟻の勤勉と同じことで、焼跡へ、同じ家をつくるばかり、こゝにあるものは、進歩とあべこべの、根柢的な永遠の保守的反動的性格があるばかりである。
 角力《すもう》が又、今年から、力士が座布団をやめて、ムシロの上へ坐っている。これから首を斬られる順番を待っているの
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