り、安易について、蒙昧にとゞまることでしかないのである。その無能無策と、反文化的性格は、第一級の罪悪と云わねばならぬ。そして、禁止のもつ安易さは、反文化的性格と共に、専政的なものであり、同時に、軍人の、又、ファッショの性格でもあるのである。
 かゝる専政的禁止の性格は、又、共産主義が持っている。政争の手段として闘争を看板にする共産主義は元々が軍人的好戦思想と、専政をタテマエにしているのであるが、彼らが現に弾圧されつゝあるにも拘らず、然し、彼らほど、やがて人を弾圧する性向を潜めているものはない。個人の自由や、人間性を尊重する慎しみ深さは、その根柢に失われているのである。
 元来、共産主義の如くに、理想を知って、現実を知らず、その自らの反現実性に批判精神の欠如せるものは、専政、ファッショの徒に外ならぬのである。
 敗戦、この無数の焼跡、これが直ちに復旧すべきものでないのは当然で、たとえ戦争に勝ったところで、復旧に年月を要することは明かだ。誰がやっても、この復旧、建設は、困難きわまる一大難事業である。かゝる非常の際の政策的なストの如きは最も慎むべきところ、フランスでは、共産政府がストを弾圧していたではないか。
 私は、だいたい、ストライキという手段は、好きではない。社会生活に於ける闘争ということを好まないのだ。闘争ほど、社会の敵なる言葉はない。
 私は、資本家(国家でもよい)と労働者の利益分配が生活の最も重大なものとなっている今日、簡単の労働法規というようなもので、この重大な生活問題を社会の片隅で処理しているのが間違いだと思う。
 私は労働問題審判所というものを設け、最高裁判所、内閣、この二つと並べて、三位同格の最高機関とすべきだろうと思う。今日、裁判所に、地方、中央、完備した組織ある如く、労働問題の審判にも、全国に完備した組織をもち、これを公正、最高、絶対の機関とし、ストライキという好戦的な手段を社会生活から抹殺すべきだと思う。
 賃金問題は今や個人の最大の生活問題となっているのに、これをストライキという如き素朴、好戦的な方法にゆだねて、合理的な機関を発明しないのは、不思議である。かゝる重大な生活問題を、不完全な調停機関で有耶無耶《うやむや》にして、結局ストライキに物を言わせるなどゝは、文化文明の恥と申すべきものである。法律及び裁判所と同格同位の組織と権力ある調停機構を
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