がもし正規の愛情のよろこびを感じるなら、多くの男が迷つた筈だが、一人も深入りした男がない。男を迷はす最後のものが欠けてゐた。
お客の中には相当迷つて近づく男もゐたけれども、女と交歩ができてみると、却つて熱がさめてくるのはそのせゐで、女は又執念深い交渉が嫌ひのたちだから、その方を好んでゐた。熱愛されることがなく、一応可愛がられるだけの自分の宿命を喜んでをり、気質的にも淫奔だが、アッサリしてゐた。
小柄な、痩せてゐるやうで妙に肉づきのよい、鈍感のやうで妙に敏活な動きを見せる女の裸体の魅力はほんとに見あきない。情感をそゝりたてる水々しさが溢れてゐた。それでゐて本当のよろこびを表はさないといふのだから、魂のぬけがらといふやうなものだが、一緒に住んでみると、又、別なよろこびも多少はあつた。女が快感を現さないから野村も冷静で、彼は肉感の直接の満足よりも、女の肢体を様々に動かしてその妙な水々しさをむさぼるといふ喜びを見出した。女は快感がないのだから、しまひには、うるさがつたり、怒つたりする。野村も笑ひだしてしまふのである。
かういふ女であるから、世間並の奥様然とをさまることも嫌ひであるが、配給物の行列などは大嫌ひで、さほどの大金も持たないのだが景気よく闇の品物を買入れて、大いに御馳走してくれる。料理をつくることだけは厭がらず、あれこれと品数を並べて野村が喜んで食べるのを気持良ささうにしてゐる。さういふ気質は可憐で、浮気の虫がなければ、俺には良い女房なのだがな、と野村は考へたりした。
「戦争がすむと、あたしを追ひだすの?」
「俺が追ひだすのぢやなからうさ。戦争が厭応《いやおう》なしに追ひだしてしまふだらうな。命だつて、この頃の空襲の様子ぢや、あまり長持ちもしないやうな形勢だぜ」
「あたし近頃人間が変つたやうな気がするのよ。奥様ぐらしが板についてきたわ。たのしいのよ」
女は正直であつた。野村は笑ひだすのだが、女の気付かぬ事の正体を説明してやらなかつた。そして女の可憐さをたのしんだ。
「奥様ぐらしが板についたなら、肉体のよろこびを感じてくれるといゝのだがね」
野村はをかしさにまぎれて、笑ひながらうつかり言つてしまつたのだが、女の表情が変つてしまつた。
表情の変つたあげくに、女はたうとうシク/\と泣きだしたのである。
「悪いことを言ひすぎたね。許してくれたまへ」
けれども女
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