が東大へ入学しようとした。東大の野球部の世話役が大いによろこんで、東大野球部の黄金時代至ると、彼を大先輩の内村裕之博士のところへ連れていった。内村先生も大いに喜ぶかと思いのほか、荒巻にさとして、君もどうせ野球人として一生を終るのだろうから、東大の三年はそれだけムダではないか、すぐプロ野球へはいりなさい、と飜意をうながしたそうである。
こういう思想は過去にはなかった。人が天分に生きることは、罪悪視されていた。つまり、すべて冒険心というものが、醇風良俗に容れられず、日本人の正しい生き方は、小ヂンマリと月給を貰い、平々凡々に死ぬ、それが人並みで、一芸に身を捧げるというようなことは、歓迎すべき生き方ではなかった。
まったく芸界というものは、先の分らぬものであり、誰がどこまで延びるかは、専門家にもちょッと見当がつかない。海のものとも山のものとも分らない徒弟時代は特にそうで、我々のところへ弟子になりたいと云って、父や母につれられてくる子供があるが、まったく返答に窮する。未来がうけあえないからである。万人にすぐれた才能であればとにかく、十人並とか、十人並以上程度では、とてもすゝめるわけに行かない
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