メンバーにはいる筈はありえないのである。
 老人のクリゴトというものは、いつもこういうものである。しかし現代に生きる観衆はハツラツと生命に溢れており、現実を観賞することが全てゞ、今日プロ野球が人気をさらっているのも、プロ野球に実力と生命がこもっているからであろう。
 何よりも、職業人としての心構えの確立がプロ野球を今日あらしめたのである。野球を天与の業として、嬉々と打ちこみ、つまらぬプレーを見せまいとして、ともかく全力をつくしている。
 昔はこうではなかった。いゝ大人が野球などやるもんじゃない、という思想が、プロ野球のプレーヤーにもあったのである。そして、いかにも面白くもなさそうに、観衆の声援に対して、アベコベに、自分はお前さんたちのオモチャじゃないんだ、というようなフテクサレタ態度を示したものである。不世出の大打者と云われた宮武がそうであった。そして練習もおろそかに、あたら天分をもちながら、もっぱら三振して、フテクサレていたものだ。現在の選手では、大映の大岡に、こういう職業蔑視の気風がほの見えるようである。
 話の真偽は知らないが、さる野球通の話によると、昨年、星野組の火の玉投手荒巻が東大へ入学しようとした。東大の野球部の世話役が大いによろこんで、東大野球部の黄金時代至ると、彼を大先輩の内村裕之博士のところへ連れていった。内村先生も大いに喜ぶかと思いのほか、荒巻にさとして、君もどうせ野球人として一生を終るのだろうから、東大の三年はそれだけムダではないか、すぐプロ野球へはいりなさい、と飜意をうながしたそうである。
 こういう思想は過去にはなかった。人が天分に生きることは、罪悪視されていた。つまり、すべて冒険心というものが、醇風良俗に容れられず、日本人の正しい生き方は、小ヂンマリと月給を貰い、平々凡々に死ぬ、それが人並みで、一芸に身を捧げるというようなことは、歓迎すべき生き方ではなかった。
 まったく芸界というものは、先の分らぬものであり、誰がどこまで延びるかは、専門家にもちょッと見当がつかない。海のものとも山のものとも分らない徒弟時代は特にそうで、我々のところへ弟子になりたいと云って、父や母につれられてくる子供があるが、まったく返答に窮する。未来がうけあえないからである。万人にすぐれた才能であればとにかく、十人並とか、十人並以上程度では、とてもすゝめるわけに行かない
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