しかし、あそこに、徳川夢声先生という珍優が一枚加わると、千|鈞《きん》の重みとはこのことである。
 彼は含宙軒博士となり、含宙軒先生となり、含宙軒探偵となり、変装自在の特技者であるが、彼自身は本業を俳優と云い、文章のたぐいは副業であると称している。
 しかし、私の見るところでは、副業の文章が本職の文士以上にうまいが、俳優の方は、ややダイコンである。なんと云っても、彼の修練はクラヤミに於ける声の表現で、表情や身の動きは中年からの年期であるから、宙を含むの天分ありとはいえ、年期の遅きをいかにせん。表情はいさゝかテレくさく、手の置き場所にもいさゝか困っていらッしゃる。彼の映画は見ている方が辛いのである。
 ところが、表情や動きのいらないラジオとなると、さすがに違う。彼の天分は堂を圧してしまう。アア夢声は天才ナリ、と思う。そして、彼の声の登場するところ、春風タイトウとして、人心を和《やわら》げ、心底から解放を与えてくる。又と得がたい声の俳優と申すべきであろう。
 しかし、近ごろはメッタに登場せず、登場してもいさゝか精彩に欠けているが、これは含宙軒師匠が禁酒しているせいだろうと思われる。
 我々文士が酒をのんでは、小説も書けないばかりで一向役にも立たないが、含宙軒師匠が酒をのむと、全国の皆様を春風タイトウとさせるのだから、ここは身命を投げうって酒を飲むところかも知れない。
 戦後派の人気者の一つに職業野球がある。戦前に野球の主流であった六大学も甲子園大会も都市対抗も、今では、プロ野球の新人発掘の温床として注目される程度となっている。
 しかし保守思想というものは、こういうハツラツたるスポーツに於ても在るもので、先日読んだ野球雑誌に、日本野球のベストメンバーというのを見ると、一塁が川上でも西沢でも飯田でもなく、死んだ中河になっている。そして中河こそは不世出の一塁手で、生れながらのプロ野球人だなどと絶讃しているのである。
 しかし私の記憶によれば、中河が生きて活躍していた当時は、守備に於てはすぐれているが、打撃が全然ダメであるからという理由で、当時ベストメンバーを選ぶ時には、そのころはまだプロ新入生の川上などが却って選に入り、中河をベストメンバーに加える人などは殆どなかったものである。今日は尚のこと打撃時代であり、彼のスマートな守備ぶりがいかほどプロ的であっても、あの貧打でベスト
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