ものは、どこの国の共産党にくらべてもこれ以下のものは見当らない。この三太夫は本店の殿様の手打になるのをビクビクしているだけである。
 彼らが行った政策の唯一のことは、他に対する不協力ということである。反対のための反対。漸進的なるものに対する拒否。同じことでも自分が主導してやるのでなければイヤだという全体主義であるが、それも単に否定し反対するだけの破壊的な方策によって全体主義の性格を誇示したにすぎないのである。
 占領軍の指図による農地解放などは、古今東西の歴史に照しても大革命の一種である。これを利用したならば、農村の新秩序をたて、生活を改善し、共同的な作業法や、相互扶助の方法を与え、農村に文明の恩沢や文化生活を導入することもできたろうと思う。そんなことは何一つやってやしない。やる能力がないのだ。事に当って利用し善用すべき研究も素養も持ち合せていなかったのだ。彼らは空想的な革命家、もしくは英雄好みの冒険愛好家であるにすぎなくて、祖国の農村の歴史や現実に就て着実な考察や設計などは所有していなかった。そして彼らが同じころ政策のスローガンにかかげたことはと云えば、隠退蔵物資のテキハツだの遊休大
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