戦後合格者
坂口安吾

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)三太夫《さんだゆう》
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 敗戦後の日本に現れたニューフェースの筆頭は公認された日本共産党であったろう。しかし、これぐらい内容拙劣なニューフェースは他に例がなかった。完全なる無内容、それに加うるにいたずらなる喧嘩ずき、まるで人間の文化以前の欠点だけを集成して見せつけられているようであった。
 彼らのやった仕事の総量は、事毎に牙をむいて吠えたがる野犬の行跡に酷似しているが、人間のなすべき事には全く似たところがない。「なすべき」というのは、知識と責任を背景にしたところの、という意で、政党と政党員には当然必要とすべき条件をさすのである。
 彼らのやった仕事の主なるものはと云えば、ナホトカからスクラムをくんで祖国へ敵前上陸の筋金入りの人達をたきつけて益々ダダをこねさせたり、坐りこませたりすることである。尤もこれに対しては、かくの如くに教育して敵前上陸せしめた海の彼方の本店を咎めることが先でなければならないが、本店の押しつける無法な仕打を修正して受け入れるだけの識見がない無能な三太夫《さんだゆう》ぶりというものは、どこの国の共産党にくらべてもこれ以下のものは見当らない。この三太夫は本店の殿様の手打になるのをビクビクしているだけである。
 彼らが行った政策の唯一のことは、他に対する不協力ということである。反対のための反対。漸進的なるものに対する拒否。同じことでも自分が主導してやるのでなければイヤだという全体主義であるが、それも単に否定し反対するだけの破壊的な方策によって全体主義の性格を誇示したにすぎないのである。
 占領軍の指図による農地解放などは、古今東西の歴史に照しても大革命の一種である。これを利用したならば、農村の新秩序をたて、生活を改善し、共同的な作業法や、相互扶助の方法を与え、農村に文明の恩沢や文化生活を導入することもできたろうと思う。そんなことは何一つやってやしない。やる能力がないのだ。事に当って利用し善用すべき研究も素養も持ち合せていなかったのだ。彼らは空想的な革命家、もしくは英雄好みの冒険愛好家であるにすぎなくて、祖国の農村の歴史や現実に就て着実な考察や設計などは所有していなかった。そして彼らが同じころ政策のスローガンにかかげたことはと云えば、隠退蔵物資のテキハツだの遊休大
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