――あるミザントロープの話――
坂口安吾

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)軈《やが》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)十|瓦《グラム》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)バリ/\
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 凡そ世に同じ人間は有り得ないゆえ、平凡な人間でもその種差に観点を置いて眺める時は、往々、自分は異常な人格を具へた麒麟児であると思ひ込んだりするものである。殊に異常を偏重しがちな芸術の領域では、多少の趣味多少の魅力に眩惑されてウカウカと深入りするうちに、遂には性格上の種差を過信して、自分は一個の鬼才であると牢固たる診断を下してしまふことが多い。夢は覚めない方が(勿論――)いい。分別は、いやらしいものである。軈《やが》て自分の才能や感覚に判然《はっきり》した見極めがついて何の特異さも認め難い時がくるとこれくらゐ興ざめた、落莫とした人生も類ひ稀なやうである。一つぺんに周囲の気配が青ざめて、舌触りまで砂を噛むやうにザラッぽいものだ。今さら何をする気分もないのでひたすらにボンヤリしてゐると、ただ重く、ただ暗闇が詰まつてゐて、溜息の洩らしやうもないのである。いつもながら、気を失つてしまふやうな心持《ここち》がしてゐる。ところで、私の場合なぞは、丁度このやうなものであつた。
 私は音楽家を志望して――私は、少年時代から何といふこともなく音楽に興を覚え、※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]オロンを弾き鳴らすことに多少の嗜みを持つやうになつてゐたが、中学を卒へる頃からピアノにより高いものを感ずるやうになり、そのまま全く反省するところなく或る私立の音楽学校へ入学したわけであるが、指先に熟練を要するピアノには已に晩い年齢であり、当然さらに心を変へて作曲を志望するやうになつた。そして、兎も角学校を卒業して――(もはや二年半)、無為な毎日をただ送るうちに、殆んど辷るやうにして、たわいもなく斯様な憂鬱に潰されてしまつた。全く、興ざめた! 興ざめたといふ感じである。手の施しやうもないのだ。ただ、日毎に身の周囲《まわり》が白つぽく色あせて、漂白された腥《なまぐさ》い視野が、日と共に広々と遠く延びて行くやうである。茫漠として――泌《し》みつくやうな、どうも、遣り切れない虚しさである。
 私の場合では、私は別に、私の性格に就てさへ異常さを誇らうとした事もなかつた。一個の、ありきたりの凡人に過ぎないことを充分に知つてゐたのだ。友人達のやうに、私は神経質でさへなかつた。昔は、健康も人に勝れ、旺盛な食慾もあつたし、睡むい時には落ちて行くやうに寝付いたまま、グッスリ半日の余も睡むることが出来たのである。無論敏感ではないが、さりとて並以下に鈍感といふこともなく――さて、今となつては、音の感受性に就てさへ、何等の特異さを認めることも出来ないのだ。日常に於て、私は、音楽のことを語るよりも遊び興ずることが好きであつた。
 私は、今、何をする根気も持つことが出来ないのだ。否応なしに――全く、否応なしに、私は――いはば自我といふ意識が、何かしら中心となるべき勘所が、私の中に見当らないのだ。何もせずにボンヤリ毎日を暮してゐると、食慾だけは衰へもせず、むしろ存分に喰ふこともでき、食べたあとでは幾時間でも睡むることが出来るのである。昼夜の分ちなく、私は、宿の二階にウトウトと、又、グッスリと、寝倒れてゐるのだ。勿論、考へることは、何一つとして無いやうである。
 斯うしてボンヤリしてゐると――私の下宿は坂の真下に当るうへに、深々とした欅の木立に取り囲まれてゐるので、夏の盛りであるといふのに終日陽射しを受けることなく、ジインと静まり返つてゐる。気がつくと、坂下の街一杯に蝉の音《ね》が澱んでゐるのだ。日盛りにも、高い場所には綺麗な風が吹き渡るものとみえて、欅の頭に颯々と葉の鳴る音が聴えたりする。黄昏のこと、夕立の来る気配がして、頻りに冷いものが流れ、何かしら緊張した冷気の中に、重苦しげな灌木の葉摩れや、又、高い空には欅の繁みが葉先を立てて、不気味に戦《そよ》いだりしてゐることがあつた。さういふ夕辺も、あつたのである。時々、我に返ると――(私は嗤はれることを厭はないが――)私は泪を流してゐるのであつた。如何とも仕方がないと言ふほかはない。別に意識のあるわけでなし、心を鎮めて伏してゐると、果ての知れない遠い処に澎湃《ほうはい》と溢れ、静かに零《こぼ》れるものがあつた。
 ところが、私の下宿では、(これは素人下宿であるが――)、ボンヤリと寝てゐることも容易な業ではなかつた。別段に盛夏の暑気が堪え難いといふわけではなく、私は、汗にまみれて寝てゐることにさしたる苦痛を感じないのだが――この一家では、凡そ扉といふものが一部屋に一人を守る砦とは解せられずに、専ら人々を運び込んでくるのであつた。第一に、この家の主婦が舞ひ込んでくる――
 宿の主婦は芸妓あがりで、四十五六の年配であらうか、昔はさる人に囲はれてゐたが、その人に死別してのち、今は長唄の師匠であつた。面長の美人であるが、蒼白で、痩せ衰へて、この年齢まで持ち堪《こた》へてきた花やかさが遽《あわただ》しげに失せやうとし、日毎に老ひ込むやうであつた。陰鬱な日は、顳※[#「需+頁」、第3水準1−94−6]《こめかみ》に大きな膏薬を貼つてゐた。
 日に数回のことさへあつた――お稽古に手すきの度に私の部屋へ現れてくる此の人は、そのとき、自分でも自分のことが分らぬやうに朦朧とした風であつた。「戸張さん……」噛みわけるやうに、幽かな声で私の名前を呟き乍ら――本来は神経質な、聡明な顔付をした人だのに、全く空虚な、意識の欠けた顔をして私の部屋へ現れてくると、目、鼻、口がバラバラに見えて不思議にあどけない土人形のやうであつた。
「戸張さん……」そして、又――
「戸張さん……」
 私の名前を呟くことによつて自分の心を空虚の中から探し出さうとするやうに、そして又、おどおどと怯えきつた様をして、私の気勢を怖れるやうに躊躇《ためら》ひ乍ら、長く佇むのであつた。何故と言へば、私は、私の安息を乱されることに由つて決して愉快ではなかつたので――兎も角も起き上りはして、坐り直しはするが、磐石のやうに苦りきつて忌々しげに畳を睨み、或ひは窓外へ眼を逸《そら》して、晴れた日の、又薄曇りの坂下から、坂の上へ流れて行く静かな風景を拾ふのである。すると、もんもんと鳴きしづもる一万の蝉が、静かに、深く遠くシンシンとして、私の部屋に籠つてゐるのが分り初めるのであつた。――
 然し私は、已に凡ゆる寛容さを打ち忘れて、斯る幽邃《ゆうすい》な大自然にも私の怒りを慰め得ない狭小な人間と化してゐたので、まだ臆病に躊躇ひ乍ら佇んでゐる主婦の姿に、バリ/\と歯を噛むやうな苛立たしさを覚えずにはゐられなかつた。
「おひま[#「おひま」に傍点]でせうか? 戸張さん……」
「ああ、騒がしい。ああ、私は私は――」私は全く逆上して、
「ああ私は、私は何時も、一日中、毎日毎日毎日毎日、静かに、ヂッと、考へてゐるのですよ。私を静かにしておいて下さいと言ふのに……」
「戸張さん、戸張さん……」
「ああ、騒がしい。ああ、騒がしい。私は、私は――ああ、もう間もなく死んで行く人間ですから……」
「ああ、戸張さん、戸張さん、私は……」
 私の逆上と彼女の混乱とをゴッチャにして、これも全く逆上してしまつた主婦は、崩れるやうに私の真向ひへ坐つて――
「戸張さん、戸張さん、本当に、おお、私はどうしませう。もう、もう生きてゐるのも容易ではありませんよ――」
 そして溢れる泪と一緒に流れるやうに喋り出すが、間もなく次第に生き生きとして――しかし、話それ自身は、聞き手の私から全く独立して、私の返答や私の存在は話の中へ交通する余地が、もはや全く無かつた。私は話の始終といふもの、決して愉快な顔付はせず、唯むやみに苦い憂鬱な顔付をして、首を左右に揺さぶつてみたり、冷笑に似た自棄な笑ひを唐突に、横向きさまに浴せかけたりするのみである。そしてその話といふのが、ああ、ああ、ああ、毎日毎日同じ同じ話なのだ。一人息子の悪口である。当節の暮しにくい世相の話と、旦那様の生きてゐた頃の追憶と、そして、それから金光教の信心話だ。今朝は倅に何処をひつぱたかれ[#「ひつぱたかれ」に傍点]たとか、本郷の金光教会までは電車賃でも拾四銭は必要だし、御供物もあげねばならず、教会の親切な書生さん方へお茶菓子も買つてあげたいから、どうしても一円五拾銭はかかるのに、茶箪笥へ仕舞つておいたら倅の奴が浚つて逃げた――。すると急に、私の苦りきつた真つ暗な顔をうかがつて、団子坂の菊は豪勢なものであつたとか、昔の吉原の道中は、又新橋はと、遂に徳川家康の話へまで移るうちに、先年亡くなつた娘の思ひ出を語りはぢめて――本当に利発な、そして母親思ひの愛らしい子であつたのに、もし今も尚健在であつたなら、この温和しい戸張さんと、どんなに似合の夫婦であらうか――臨終に紅葉のやうな(――彼女は必ず執拗に此の形容を忘れなかつた)可愛いい手を合せて、あたしの魂はお母さんに乗移つて何時までも何時までもお護りしておりますよ、お母さんを幸福に導いてあげますよ……と、声も科《しな》も幼い少女のものを真似て、果てはオロオロと泣き伏してしまふのである。
 すると、さうこうする中に、お弟子さんが詰めかけて来て、彼女はツと階下の気配へ耳を欹《そばだ》てたかと思ふと――決して挨拶の言葉すら返すまいとするかのやうな苦りきつた私に向つて、彼女も亦決して聞き取れる言葉では別れの挨拶を述べやうとせずに、再びあの、立ち現れた時の、朦朧として夢のやうな顔、形をして、戸口の向ふへ消えて行つてしまふのである。すると忽ち階下から、お嬢さん、大変姿勢が悪うござんすよ、もつとお嬢さんらしく、グッと斯う気取つて……と、まるで違つた音声で言つてゐるのが聴えてゐる。
 そこで私は、そのとき何物かの気配に由つて已に全く孤独であることを納得せしめられて、――然し、もはや、その静穏な孤独も悦ぶ気力のない私は、やがて甚だ沈鬱な動作と共に、ガッカリとただ寝倒れてしまふのである。するとそれらの一点に於て、殆んど信じ難い唐突な一瞬間に、盛夏の鮮やかな風物が、耀やく屋根が、懶うい径が、鳴きしぐれる蝉の音が、頭上に近くさやさやと鳴る微かな風が――忽ち展かれた窓のやうに、そして忽ち閉ぢられて行く窓のやうに、爽やかに滲み溢れて――そして又、闇のさ中へ還へるのである。
 騒音の第二――私は、(当然私と呼ばるべき断乎たる一聯の感情は)、断乎として――私は、ここの倅を好まないのだ。私は、(私は、私は――)、金属性の物音が嫌ひである、私は、(私は私は――)全て金属的な存在が、金属的な神経が、嫌ひである。ところで、ここ[#「ここ」に傍点]の倅は、真鍮喇叭《しんちゅうらっぱ》であつた。
 この不愉快な金属は、最近まで経済科の大学生であつたが、今は止して、専ら何事もしてゐなかつた。何事もすることがないので、気違ひの真似や、自殺の真似をするのであつた。決して人の神経を顧慮することのない、野性的な、ベルトのやうな神経をもつて、十|瓦《グラム》ほどのカルモチン錠剤を嚥み下してみたり、遺書を残して行方を晦ましたり、常に何事かの騒音を惹起することに由つて、其の存在を認識せしめやうと企むかに見えた。
 麗かな朝、陰鬱な朝、――朝は概ねヒッソリとして階下の一室に閉ぢ籠つてゐる男は、午過ぎ頃になると突然 wachchchchch と張り裂けるやうな悲鳴をあげて、「|俺はつらい、拙者は悲惨だ!《ジュ・シュイ・トリスト オー・ミゼラブル!》」と嘆き乍ら手足をバタバタ力一杯に畳や壁へ打付けてゐるが、軈てやにわ[#「やにわ」に傍点]に自分の部屋を飛び出
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