「ああ私は、私は何時も、一日中、毎日毎日毎日毎日、静かに、ヂッと、考へてゐるのですよ。私を静かにしておいて下さいと言ふのに……」
「戸張さん、戸張さん……」
「ああ、騒がしい。ああ、騒がしい。私は、私は――ああ、もう間もなく死んで行く人間ですから……」
「ああ、戸張さん、戸張さん、私は……」
 私の逆上と彼女の混乱とをゴッチャにして、これも全く逆上してしまつた主婦は、崩れるやうに私の真向ひへ坐つて――
「戸張さん、戸張さん、本当に、おお、私はどうしませう。もう、もう生きてゐるのも容易ではありませんよ――」
 そして溢れる泪と一緒に流れるやうに喋り出すが、間もなく次第に生き生きとして――しかし、話それ自身は、聞き手の私から全く独立して、私の返答や私の存在は話の中へ交通する余地が、もはや全く無かつた。私は話の始終といふもの、決して愉快な顔付はせず、唯むやみに苦い憂鬱な顔付をして、首を左右に揺さぶつてみたり、冷笑に似た自棄な笑ひを唐突に、横向きさまに浴せかけたりするのみである。そしてその話といふのが、ああ、ああ、ああ、毎日毎日同じ同じ話なのだ。一人息子の悪口である。当節の暮しにくい世相の話と、旦那様の生きてゐた頃の追憶と、そして、それから金光教の信心話だ。今朝は倅に何処をひつぱたかれ[#「ひつぱたかれ」に傍点]たとか、本郷の金光教会までは電車賃でも拾四銭は必要だし、御供物もあげねばならず、教会の親切な書生さん方へお茶菓子も買つてあげたいから、どうしても一円五拾銭はかかるのに、茶箪笥へ仕舞つておいたら倅の奴が浚つて逃げた――。すると急に、私の苦りきつた真つ暗な顔をうかがつて、団子坂の菊は豪勢なものであつたとか、昔の吉原の道中は、又新橋はと、遂に徳川家康の話へまで移るうちに、先年亡くなつた娘の思ひ出を語りはぢめて――本当に利発な、そして母親思ひの愛らしい子であつたのに、もし今も尚健在であつたなら、この温和しい戸張さんと、どんなに似合の夫婦であらうか――臨終に紅葉のやうな(――彼女は必ず執拗に此の形容を忘れなかつた)可愛いい手を合せて、あたしの魂はお母さんに乗移つて何時までも何時までもお護りしておりますよ、お母さんを幸福に導いてあげますよ……と、声も科《しな》も幼い少女のものを真似て、果てはオロオロと泣き伏してしまふのである。
 すると、さうこうする中に、お弟子さんが詰めか
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