にアイマイではないか。
 しかるに、驚くべし、十一人の証人全部、そろって、真犯人よりも耳が小さい、という点で意見の一致を見ているのである。したがって、この十一人の証人の証言が、いかに他動的に作用されているか、バカバカしいものであるか、明瞭ではありませんか。
 だから、このような事件では、首実検は、証拠とはなりにくいもので、一応似ている、ということを確かめる以外に意味は少いものである。
 しかるに、ジャーナリズムは、首実検で犯人の断定が得られなかった、というだけで、容疑薄れる、と即断する。このジャーナリズムの断定態度というものには、知的性格がまったく欠如しているのである。軽率であり、感情的であり、合理性を欠いている。
 まだしも、警視庁の態度には、必然性があり、合理性があるのである。
 先ず、第一に、H画伯が、二月十日から、北海道へ、現れ、自宅へ帰らない、ということ。
 この事件の犯人が、行方をくらます方法としては、当然こんな方法が用いられる筈で、二月十日ごろというと、人相書などが廻って、似た人間がヤタラとひッぱられた頃ではないかと思われるが、犯人が逃げだすとすれば、先ず、この頃だという
前へ 次へ
全11ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング