自分でハッキリ記憶が残っていると信じ得るだけ、むしろ、他からのハタラキが多いのだと言い得るであろう。したがって、犯人に似ている、という以上の断定は不可能であろう。
 いかに首実検の証人たちが、記憶が不明確で、他動的であるかと云えば、こゝにハッキリした証拠があるのである。九人だか十一人だかの証人のうち、似ているが犯人でない、というのが六人だかで、なんとも断定できない、というのが四五人おり、然し、犯人よりも耳が小さい、という点で十一人全部の意見が合ったという。
 みなさん、このバカらしさを良く考えて欲しい。長年の友達じゃあるまいし、たった十分ぐらい会っただけの人間の誰が耳まで見ていますか。それは、なかには、一人二人、耳まで見た人があるかも知れぬ。否、位置の関係上、顔は良く見なかったが、耳だけは良く見た、という人も、あるかも知れぬ。然し、それは例外で、十一人全部が耳を見ている筈はないに極っているのだ。試みに、あなた方の友人の耳について思いだそうとしてごらんなさい。長年つきあった友人の耳ですら、耳なんか、殆ど記憶しておらぬものだ。メガネをかけてるか、かけてないか、そんなことすら、友人ですら、時
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