らいに、こちらも、要心に要心を重ね、注意の上にも注意を払っていたのであるが、それがもう、その翌日は、二人のうち、一人の顔が思いだせない。一人の方はヒゲがあって、非常に特徴のある人だから、ハッキリ記憶に残っているが、一人の方は、平凡な、好人物らしい青年で、どうしても、シカとわからぬ。翌日、路上で、その人物らしい人に会った。先方も、私を意識している様子で、ハテナと思ったが、どうしても、私には断定がつかない。そして、スレ違ってしまった。それが二時間にわたって対談したその翌日の出来事なのである。
 帝銀の場合に於ては、たかだか十分ぐらいのことであり、私が税務署を意識する如き特別の関心をもって、銀行員たちがこの犯人に注意をさしむけていたとは思われないのである。
 まして、それから半年以上の月日がたち、しかも、多数の意見を寄せ集めた似顔がつくられ、個々の意見の上に色々と他からの影響が作用して、記憶は混濁しているに極っているのだ。したがって、自分ではハッキリ記憶したつもりの顔が、実はその多くが後日他からのハタラキで修正附加した部分が多いのだから、イザ実検となって、断定し得なくなるのは当然なのである。自分でハッキリ記憶が残っていると信じ得るだけ、むしろ、他からのハタラキが多いのだと言い得るであろう。したがって、犯人に似ている、という以上の断定は不可能であろう。
 いかに首実検の証人たちが、記憶が不明確で、他動的であるかと云えば、こゝにハッキリした証拠があるのである。九人だか十一人だかの証人のうち、似ているが犯人でない、というのが六人だかで、なんとも断定できない、というのが四五人おり、然し、犯人よりも耳が小さい、という点で十一人全部の意見が合ったという。
 みなさん、このバカらしさを良く考えて欲しい。長年の友達じゃあるまいし、たった十分ぐらい会っただけの人間の誰が耳まで見ていますか。それは、なかには、一人二人、耳まで見た人があるかも知れぬ。否、位置の関係上、顔は良く見なかったが、耳だけは良く見た、という人も、あるかも知れぬ。然し、それは例外で、十一人全部が耳を見ている筈はないに極っているのだ。試みに、あなた方の友人の耳について思いだそうとしてごらんなさい。長年つきあった友人の耳ですら、耳なんか、殆ど記憶しておらぬものだ。メガネをかけてるか、かけてないか、そんなことすら、友人ですら、時
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