である。
北海の孤島へ流刑の身でこんな美しい物語をつくるとは、世阿弥という人の天才ぶりに降参せざるを得ない。ところで、話はそういうことではないのだが、僕がこの物語を友人に語ったところが(僕はあらゆる友人にこの物語を話した)最も激しい感動を現した人は宇野千代さんであった。この時以来宇野さんは謡曲のファンになり、頻《しき》りに観能にでかけ、僕が文学として読んではいても舞台として殆んど見たことがないので冷やかされる始末になったが、女の人は誰しも老醜を怖れること男の比にはならないのであろうけれども、宇野さんが物語をきいたときの驚きの深さは僕の頭を離れぬことのひとつである。宇野さんもかなりの年齢になられているから、鬼女の懊悩《おうのう》が実感として激しかったという意味もあろうけれども、失われた青春にこんなにハッキリした或いはこんなに必死な愛情を持ち得るということで、僕は却《かえ》って女の人が羨しいような気がしたのだ。この羨しさは、毛頭僕の思いあがった気持からではないのである。
女の人には秘密が多い。男が何の秘密も意識せずに過している同じ生活の中に、女の人は色々の微妙な秘密を見つけだして生活し
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