が、今はもうそういう楽しみが全然なくなってしまった。曲馬団だとか、レビューだとか、酒だとか、ルーレットだとか、そういう現実と奇蹟の合一、肉体のある奇蹟の追求だけが生き甲斐になってしまったのである。
 子規は単なる言葉のニュアンスなどにとらわれて俳句をひねっているけれど、その日常は号泣又号泣、甘やかしようもなく、現実の奇蹟などを夢みる甘さはなかったであろう。然るに僕は、一切の言葉の詩情に心の動かぬ頑固な不機嫌を知った代りに、現実に奇蹟を追うという愚かな甘さを忘れることが出来ない。忘れることが出来ないばかりでなく、生存の信条としているのである。
 大井広介は僕が決して畳の上で死なぬと言った。自動車にひかれて死ぬとか、歩いてるうちに脳溢血でバッタリ倒れるとか、戦争で弾に当るとか、そういう死に方しか有り得ないと言う。どこでどう死んでも同じことだけれども、何か、こう、家庭的なものに見離されたという感じも、決して楽しいものではないのである。家庭的ということの何か不自然に束縛し合う偽りに同化の出来ない僕ではあるが、その偽りに自分を縛って甘んじて安眠したいと時に祈る。
 一生涯めくら滅法に走りつづけて
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