る。これも一つの奇蹟だけれども、常に現実と直接不離の場所にある奇蹟で、芸術の奇蹟ではなく、現実の奇蹟であり、肉体の奇蹟なのである。酒も亦、僕にはひとつの奇蹟である。
 僕は碁が好きだけれども、金銭を賭けることは全く好まぬ。むしろ、かかる人々を憎み蔑《さげす》むのである。大体、賭事というものは運を天にまかして一か八かというところに最後の意味があるのである。サイコロとルーレットのようなものが、本当の賭事なのだ。碁のような理智的なものは、勝敗それ自身が興味であって、金銭を賭けるべき性質のものではない。運を天にまかして一か八かという虚空から金がころがりこむなら大いに嬉しくもなろうけれども、長時間にわたって理智を傾けつくす碁のようなもので金銭を賭けたのでは、一番見たくない人間の悪相をさらけだして汚らしくいどみ合うようなもので、とても厭らしくて勝負などは出来ぬし、勝つ気にもなれぬ。ああいう理智的なもので金銭を賭ける連中は品性最も下劣な悪党だと僕は断定している。
 然しながら、カジノのルーレットの如きもの、いささかの理智もなく、さりとてイカサマも有り得ない。かかるものも亦現実のもつ奇蹟のひとつである
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