の足跡のひとつ、数年前の京都の小さな活動小屋の出来事がこんなにハッキリ指摘されるものだとは。僕も甚だ面喰った。
 僕は梅若万三郎や菊五郎の舞台よりも、サーカスやレビューを見ることが好きなのだ。それは又、第一流の料理を味うよりも、ただ酒を飲むことが好きなのと同じい。然し、僕は酒の味が好きではない。酔っ払って酒の臭味が分らなくなるまでは、息を殺して我慢しながら飲み下しているのである。
 人は芸術が魔法だと云うかも知れぬが、僕には少し異論がある。対坐したのでは猥褻見るに堪えがたくて擲《なぐ》りたくなるような若者がサーカスのブランコの上へあがると神々しいまでに必死の気魄で人を打ち、全然別人の奇蹟を行ってしまう。これは魔法的な現実であり奇蹟であるが、しかもこの奇蹟は我々の現実や生活が常にこの奇蹟と共に在る極めて普通の自然であって、決して超現実的なものではない。レビューの舞台で柔弱低脳の男を見せつけられては降参するが、モリカワシンの堂々たる男の貫禄とそれをとりまいて頼りきった女達の遊楽の舞台を見ると、女達の踊りがどんなに下手でも又不美人でも一向に差支えぬ。甘美な遊楽が我々を愉しくさせてくれるのであ
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