係が起った場合に、自己を犠牲にすることが出来るか。甘んじて人に席を譲るか。むしろ他人を傷つけて自らは何の悔いもない底の性格をつくり易いと言い得るであろう。
 蓋《けだ》し、大人の世界に於て、犠牲とか互譲とかいたわりとか、そういうものが礼儀でなしに生活として育っているのは淪落の世界なのである。淪落の世界に於ては、人々は他人を傷けることの罪悪を知り、人の窮迫にあわれみと同情を持ち、口頭ではなく実際の救い方を知っており、又、行う。又、彼等は人の信頼を裏切らず、常に仁義というものによって自らの行動を律しようとするのである。
 とはいえ、彼等の仁義正しいのは主として彼等同志の世界に於てだけだ。一足彼等の世界をでると、つまり淪落の世界に属さぬ人々に接触すると、彼等は必ずしも仁義を守らぬ。なぜなら淪落の人々は概《おおむ》ね性格破産者的傾向があるし、又いくらかずつ悪党で、いわば自分自身を守るために、同僚を守ったり、彼等の秩序を守ったりするけれども、外部に対してまで秩序を守る必要を認めないからでもあるし、大体が彼等の秩序と一般家庭の秩序とは違っているから、別に他意がなくとも食い違うことが出来てしまう。

前へ 次へ
全72ページ中15ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング