、実力をはみだしたところで勝敗を決し、最後の活を得ようとする。伝七郎との試合では相手が大きな木刀を持参したのに驚いた時に逆にそれを利用して素手で近づくという方法をあみだしている。小次郎の試合では、相手が鞘を投げすてるのを逃さなかったし、松平出雲守の御前試合では相手の油断に目をとめると挨拶の前に相手を打ち倒してしまった。
武蔵は試合に先立って常に細心の用意をしている。時間をおくらせて、じらしたり、逆をついて先廻りしたり、試合に当って心理的なイニシアチヴをとることを常に忘れることがなく、自分の木刀を自分でけずるというような堅実な心構えも失わないし、クサリ鎌に応じては二刀をふりかぶるという特殊な用意も怠らない。試合に当って常に綿密な計算を立てていながら、然し、愈々《いよいよ》試合にのぞむと、更に計算をはみだしたところに最後の活をもとめているのだ。このような即興性というものは如何程深い意味があってもオルソドックスには成り得ぬもので、一つごとに一つの奇蹟を賭けている。自分の理念を離れた場所へ自分を突き放して、そこで賭博をしているのである。その賭博には万全の用意があり、又、自信があったのかも知れぬが、然し、賭博であることには変りがない。
「小次郎の負けだ」
めざとくも利用して武蔵はそう言ったが、然し、そこに余裕などがあるものか。武蔵はただ必死であり、必死の凝った一念が、溺れる者の激しさで藁の奇蹟を追うているだけの話だ。余裕というものの一切ない無意識の中の白熱の術策だから、凄《すさ》まじいほど美しいと僕は言う。万全の計算をつくし、一生の修業を賭けた上で、尚、計算や修業をはみだしてしまう必死の術策だから美しい。彼はどうしても死にたくなかった。是が非でも生きたかった。その執着の一念が悪相の限りを凝らして彼の剣に凝っており、縋《すが》り得るあらゆる物に縋りついて血路をひらこうとしているだけだ。最後の場にのぞんだ時に、意識せずしてこの術策を弄《ろう》してしまう武蔵であった。救われがたい未練千万な性格を、逆に武器に駆り立てて利用している武蔵であった。
然しながら、武蔵には、いわば悪党の凄味《すごみ》というものがないのである、松平出雲の面前で相手の油断を認めると挨拶前に打ち倒してしまったりして、卑怯といえば卑怯だが、然し悪党の凄味ではなく、むしろ、ボンクラな田舎者の一念凝らした馬鹿正直というようなものだ。彼はとにかく馬鹿正直に一念凝らして勝つことばかり狙っていた。所詮は一個の剣術使いで、一王国の主たるべき悪党ぶりには縁がなかった。
いつでも死ねる、という偉丈夫の覚悟が彼にはなかったのだ。その覚悟がなかったために編みだすことの出来た独特無比の剣法ではあったけれども、それ故また、剣を棄てて他に道をひらくだけの芸がなく、生活の振幅がなかった。都甲太兵衛は家老になって、一夜に庭をつくる放《はな》れ業《わざ》を演じているが、武蔵は二十八で試合をやめて花々しい青春の幕をとじた後でも、一生|碌々《ろくろく》たる剣術使いで、自分の編みだした剣法が世に容れられぬことを憤るだけのことにすぎない。六十の時『五輪書』を書いたけれども、個性の上に不抜な術を築きあげた天才剣の光輝はすでになく、率直に自己の剣を説くだけの自信と力がなく、徒《いたず》らに極意書風のもったいぶった言辞を弄して、地水火風空の物々しい五巻に分けたり、深遠を衒《てら》って俗に堕し、ボンクラの本性を暴露しているに過ぎないのである。
剣術は所詮「青春」のものだ。特に武蔵の剣術は青春そのものの剣術であった。一か八かの絶対面で賭博している淪落の術であり、奇蹟の術であったのだ。武蔵自身がそのことに気付かず、オルソドックスを信じていたのが間違いのもとで、元来世に容れられざる性格をもっていたのである。
武蔵は二十八の年に試合をやめた。その時まで試合うこと六十余度、一度も負けたことがなかったのだが、この激しさを一生涯持続することができたら、まさに驚嘆すべき超人と言わざるを得ぬ。けれども、それを要求するのは余りに苛酷なことであり、血気にはやり名誉に燃える彼とは云え、その一々の試合の薄氷を踏むが如く、細心周到万全を期したが上にも全霊をあげた必死の一念を見れば、僕も亦思うて慄然《りつぜん》たらざるを得ず、同情の涙を禁じ得ないものがある。然しながら、どうせここまでやりかけたなら、一生涯やり通してくれれば良かったに。そのうちに誰かに負けて、殺されてしまっても仕方がない。そうすれば彼も救われたし、それ以外に救われようのない武蔵であったように僕は思う。鋭気衰えて『五輪書』などは下の下である。
まったくもって、剣術というものを、一番剣術本来の面目の上に確立していながら、あまりにも剣術の本来の精神を生かしすぎるが故に却《かえ》
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