作ったのである。
元来、小次郎は三尺余寸の「物干竿」とよばれた大剣を使い、それが甚だ有名であった。武蔵も三尺八分の例外的な大刀を帯びてはいたが、物干竿の長さには及ばぬ。のみならず小次郎は速剣で、この長い剣を振り下すと同時に返して打つ。この返しが小次郎独特の虎切剣であった。これに応ずるには、虎切剣のとどかぬ処から、片手打に手を延ばして打つ、これが武蔵の戦法で、特殊な木刀を作ったのもそのためだった。
武蔵は三時間おくれて船島へついた。遠浅だったので武蔵は水中へ降りた。小次郎は待ち疲れて大いに苛立っており、武蔵の降りるのを見ると憤然波打際まで走ってきた。
「時間に遅れるとは何事だ。気おくれがしたのか」
小次郎は怒鳴ったが、武蔵は答えない。黙って小次郎の顔を見ている。武蔵の予期の通り小次郎益々怒った。大剣を抜き払うと同時に鞘を海中に投げすてて構えた。
「小次郎の負けだ」と武蔵が静かに言った。
「なぜ、俺の負けだ」
「勝つつもりなら、鞘を水中へ捨てる筈はなかろう」
この間答は武蔵一生の圧巻だと僕は思う。武蔵はとにかく一個の天才だと僕は思わずにいられない。ただ彼は努力型の天才だ。堂々と独自の剣法を築いてきたが、それはまさに彼の個性があって初めて成立つ剣法であった。彼の剣法は常に敵に応じる「変」の剣法であるが、この最後の場へ来て、鞘を海中へ投げすてた敵の行為を反射的に利用し得たのは、彼の冷静とか修練というものも有るかも知れぬが、元来がそういう男であったのだ、と僕は思う。特に冷静というのではなく、ドタン場に於いても藁《わら》をつかむ男で、その個性を生かして大成したのが彼の剣法であったのだ。溺れる時にも藁をつかんで生きようとする、トコトンまで足場足場にあるものを手当り次第利用して最後の活へこぎつけようとする、これが彼の本来の個性であると同時に、彼の剣法なのである。個性を生かし、個性の上へ築き上げたという点で彼の剣法はいわば彼の芸術品と同じようなものだ。彼は絵や彫刻が巧みで、絵の道も剣の道も同じだと言っているが、至極当然だと僕は思うのである。
僕は船島のこの問答を、武蔵という男の作った非常にきわどいが然しそれ故見事な芸術品だと思っている。
実際試合は危なかった。間一髪のところで勝ったのである。
小次郎は激怒して大刀をふりかぶった。問答に対する答えとしての激怒をこめて振りかぶった刀なのだ。この機会を逃してならぬことを武蔵は心得ていた。なぜなら、小次郎に時間を許せば、彼も手練《てだれ》の剣客だから、振りかぶった剣形の中から冷静をとりもどしてくるからである。
武蔵は急速に近づいて行った。大胆なほど間をつめた。小次郎は斬り下した。だが、小次郎の速剣は初太刀よりもその返しが更に怖しい。もとより武蔵は前進をとめることを忘れてはいない。間一髪のところで剣尖をそらして、前進中に振り上げた木刀を片手打ちに延ばして打ち下した。小次郎は倒れたが、同時に武蔵の鉢巻が二つに切れて下へ落ちた。
小次郎は倒れたが、まだ生気があった。武蔵が誘って近づくと果して大刀を横に斬り払ったが、武蔵は用意していたので巧みに退き袴《はかま》の裾《すそ》を三寸程切られただけであった。然しその瞬間木刀を打ち下して小次郎の胸に一撃を加えていた。小次郎の口と鼻から血が流れて、彼は即死をとげてしまった。
武蔵は都甲太兵衛の「いつ殺されてもいい」覚悟を剣法の極意だと言っているが、彼自身の剣法はそういう悟道の上へ築かれたものではなかった。晩年の著『五輪書』がつまらないのも、このギャップがあるからで、彼の剣法は悟道の上にはなく、個性の上にあるのに、悟道的な統一で剣法を論じているからである。
武蔵の剣法というものは、敵の気おくれを利用するばかりでなく、自分自身の気おくれまで利用して、逆に之を武器に用いる剣法である。溺れる者藁もつかむ、というさもしい弱点を逆に武器にまで高めて、之を利用して勝つ剣法なのだ。
之が本当の剣術だと僕は思う。なぜなら、負ければ自分が死ぬからだ。どうしても勝たねばならぬ。妥協の余地がないのである。こういう最後の場では、勝って生きる者に全部のものがあり、正義も自ら勝った方にあるのだから。是が非でも勝つことだ。我々の現下の戦争も亦然り。どうしても勝たねばならぬ。
ところが甚だ気の毒なことには、武蔵の剣法は当時の社会には容れられなかった。形式主義の柳生流が全盛で、武蔵のような勝負第一主義は激しすぎて通用の余地がなかったのだ。
武蔵の剣法も亦、いわば一つの淪落の世界だと僕は思う。世に容れられなかったから淪落の世界だと言うのではないが、然し、世に容れられなかった理由の一つは、たしかにその淪落の性格のためだとは言えるであろう。
一か八かであるが、しかも額面通りではなく
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