というようなものだ。彼はとにかく馬鹿正直に一念凝らして勝つことばかり狙っていた。所詮は一個の剣術使いで、一王国の主たるべき悪党ぶりには縁がなかった。
いつでも死ねる、という偉丈夫の覚悟が彼にはなかったのだ。その覚悟がなかったために編みだすことの出来た独特無比の剣法ではあったけれども、それ故また、剣を棄てて他に道をひらくだけの芸がなく、生活の振幅がなかった。都甲太兵衛は家老になって、一夜に庭をつくる放《はな》れ業《わざ》を演じているが、武蔵は二十八で試合をやめて花々しい青春の幕をとじた後でも、一生|碌々《ろくろく》たる剣術使いで、自分の編みだした剣法が世に容れられぬことを憤るだけのことにすぎない。六十の時『五輪書』を書いたけれども、個性の上に不抜な術を築きあげた天才剣の光輝はすでになく、率直に自己の剣を説くだけの自信と力がなく、徒《いたず》らに極意書風のもったいぶった言辞を弄して、地水火風空の物々しい五巻に分けたり、深遠を衒《てら》って俗に堕し、ボンクラの本性を暴露しているに過ぎないのである。
剣術は所詮「青春」のものだ。特に武蔵の剣術は青春そのものの剣術であった。一か八かの絶対面で賭博している淪落の術であり、奇蹟の術であったのだ。武蔵自身がそのことに気付かず、オルソドックスを信じていたのが間違いのもとで、元来世に容れられざる性格をもっていたのである。
武蔵は二十八の年に試合をやめた。その時まで試合うこと六十余度、一度も負けたことがなかったのだが、この激しさを一生涯持続することができたら、まさに驚嘆すべき超人と言わざるを得ぬ。けれども、それを要求するのは余りに苛酷なことであり、血気にはやり名誉に燃える彼とは云え、その一々の試合の薄氷を踏むが如く、細心周到万全を期したが上にも全霊をあげた必死の一念を見れば、僕も亦思うて慄然《りつぜん》たらざるを得ず、同情の涙を禁じ得ないものがある。然しながら、どうせここまでやりかけたなら、一生涯やり通してくれれば良かったに。そのうちに誰かに負けて、殺されてしまっても仕方がない。そうすれば彼も救われたし、それ以外に救われようのない武蔵であったように僕は思う。鋭気衰えて『五輪書』などは下の下である。
まったくもって、剣術というものを、一番剣術本来の面目の上に確立していながら、あまりにも剣術の本来の精神を生かしすぎるが故に却《かえ》
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