いるうちに空襲警報がなったのだ。
 モンペもつけず酔っ払っていた母の身仕度に呆れるぐらいの時間がかかったけれども、夜襲の被害を見くびることしか知らなかった私は窓をあけて火の手を見るだけの興味も起らず暗闇の部屋にねころんでおり、荷物をまとめて防空壕へ投げこんで戻るたび、あっちへも落ちた、こっちにも火の手があがったというけたたましい女中の声をきき流していた。
 そのとき母のさきに身仕度をととのえて私の部屋へきていた男が酒くさい顔を押しつけてきて、私が顔をそむけると、胸の上へのしかかってモンペの紐をときはじめたので、私はすりぬけて立ちあがった。母がけたたましく男の名をよんでいた。私の名も、女中の名もよんだ。私は黙って外へでた。
 グルリと空を見廻したあの時の私の気持というものは、壮観、爽快、感歎、みんな違う。あんなことをされた時には私の頭は綿のつまったマリのように考えごとを喪失するから、私は空襲のことも忘れて、ノソノソ外へでてしまったら、目の前に真ッ赤な幕がある。火の空を走る矢がある。押しかたまって揉み狂い、矢の早さで横に走る火、私は吸いとられてポカンとした。何を考えることもできなかった。そ
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