、などとことさら吹聴したが、田代さんの通人哲学、浮気哲学はヒビがはいっているようだ。田代さんは人間通で男女道、金銭道、慾望道の大達人の如くだけれども、田代さんはこれまで芸者だの商売女ばかりを相手にして娘などは知らないのだから、私みたいな性本来モウロウたるオメカケ型の女ででもなければ自分の方から身をまかせるように持ちかける女などはめったにないことを御存知ないのだ。女はどんな好きな人にでも、からだだけは厭だという、厭ではなくても厭だという、身をまかせたくて仕方がなくとも厭だといって無理にされると抵抗するような本能があり、私でもやっぱり同じ本能があって、私はしかしそれを意識的に抑えただけのことで、私はそんな本能はつまらないものだと思っている。女は恋人に暴行されたいのだ。男はその契りのはじめにおいて暴行によって愛人のからだと感謝を受ける特権があるということ、田代さんは相談ずくの商売女しか御存知ないから、それに田代さんは通人、いわゆる花柳地型の粋人だから、ずいぶん浮気性だけれども、愛人が厭だといい抵抗するのを暴行強姦するなんてそんなことはやるべからざる外道だと思っている。そして十年一日の如くノブ子さんを口説きつづけているのだけれども、たぶん暴行によらない限り二人の恋路はどうすることもできないのだろう。私はバカバカしいから教えてあげない。そして時々ふきだしそうになるけれども、田代さんはシンミリして、「いったいノブちゃん、君は肉体的な欲求というものを感じないのかなア。二十にもなって、バカバカしいじゃないか」
そしてムッツリ沈黙しているノブ子さんを内心は聖処女ぐらいに尊敬し、そしてともかくノブ子さんの精神的尊敬を得ていることを内心得意に満足していた。
けれどもノブ子さんは肉体的欲求などは事実において少いのだから、別なことで苦しんでいる様子であったが、それは営々と働いて、自分の生活はきりつめて倹約しながら、人のために損をする、それを金々々、金銭の奴隷のようなことをいう田代さんが、いいのだよノブちゃん、それでいいのだ、という。しかし実際それでいいのか、自分の生活をきりつめてまでの所得を浪費して、そして人を助けて果して善行というのだろうか、疑ぐっているのであった。
ノブ子さんはともかく田代さんや私たちがついているから損をしても平気だけれども、独立したら、こんな風でやって行けるかと考えて苦しんでいるので、実行派のガッチリ家、現実家だから、その懊悩は真剣であった。
「女が自分で商売するなんて、サチ子さん、まちがってるんじゃないかしら。私、このまま商売をつづけて行くと、人に親切なんかできなくなって、金銭の悪魔になるわよ。そうしなきゃ、やって行けないわよ」
「そうね」
私は生返事しかできないのである。ノブ子さんの懊悩は真剣で、実際その懊悩通りに金銭の悪鬼になりかねないところがあったが、私はしかしノブ子さんその人でなしに、その人の陰にいる田代さんのガッチリズムの現実家、ころんでもタダは起きないくせに、実は底ぬけの甘さ加減がおかしくて仕方がないのだ。人生はままならねエもんだなア、と田代さんはいうけれども、私もそれは同感だけれども、田代さんが感じる如くにままならネエかどうか、田代さんは人間はみんな浮気の虫、金銭の虫、我利の虫だといいきるくせに、その実ノブ子さんを内々は聖処女、我利我利ズムのあべこべの珍しい気象の娘だなどと、なんてまたツジツマの合わない甘ったれた人なんだか私はハリアイがぬけてしまう。
私は野たれ死をするだろうと考える。まぬかれがたい宿命のように考える。私は戦災のあとの国民学校の避難所風景を考え、あんな風な汚ならしい赤鬼青鬼のゴチャゴチャしたなかで野たれ死ぬなら、あれが死に場所というのなら、私はあそこでいつか野たれ死をしてもいい。私がムシロにくるまって死にかけているとき青鬼赤鬼が夜這いにきて鬼にだかれて死ぬかも知れない。私はしかし、人の誰もいないところ、曠野、くらやみの焼跡みたいなところ、人ッ子一人いない深夜に細々と死ぬのだったら、いったいどうしたらいいだろうか、私はとてもその寂寥には堪えられないのだ。私は青鬼赤鬼とでも一緒にいたい、どんな時にでも鬼でも化け物でも男でさえあれば誰でも私は勢いっぱい媚びて、そして私は媚びながら死にたい。
わがままいっぱい、人々が米もたべられずオカユもたべられず、豆だの雑穀を細々たべているとき、私は鶏もチーズもカステラも食べあきて、二万円三万円の夜服をつくってもらって、しかし私がモウロウと、ふと思うことが、ただ死、野たれ死、私はほんとにただそれだけしか考えないようなものだった。
私は虫の音や尺八は嫌いだ。あんな音をきくと私はねむれなくなり、ガチャガチャうるさいトロットなどのジャズバンドの陰なら私は安心してね
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