か水を飲ませたあげく腹膜を起させ殺してしまった。そのせいではないけれども、私は母に愛されるたび、殺されるような寒気を覚えるばかり、嬉しいと思ったこともないのである。無智なのだ。私は貧乏と無智は嫌いであった。
 私はそのころまったく母の気付かぬうちに六人の男にからだを許していた。その男たちの姓名や年齢、どこでどうして知りあったか、そんなことは私はいいたくもないし、全然問題にしてもいないのだ。ただ好きであればいい、どこの誰でも、一目見た男でも、私がそれを思い出さねばならぬ必要があるなら、私は思いだす代りに、別な男に逢うだけだ。私は過去よりも未来、いや、現実があるだけなのだ。
 それらの男の多くは以前から屡々私にいい寄っていたが、私は彼らに召集令がきて愈々出征するという前夜とか二三日前、そういう時だけ許した。後日、娘たちの間に、出征の前夜に契って征途をはげます流行があるときいたが、私のはそんな凜々しいものではなかった。私はただクサレ縁とか俺の女だなどとウヌボレられて後々までうるさく附きまとわれるのが厭だからで、六人のほかに、病弱の美青年が二人、この二人にも許していいと思っていたが、召集解除ですぐ帰されそうなおそれがあったので、許さなかった。果して一人は三日目に戻ってきたが、一人は病院へ入院したまま終戦を迎えた。
 登美子さんは不感症だそうだ。そのせいか、美男子を見ると、顫《ふる》えが全身を走ったり、堅くなったり、胸がしめつけられたり、拳をにぎったり、圧迫されるそうだけれども、私はそんなことはない。
 私は不感症の反対で、とても快感を感じる。けれども私はその快感がたって必要な快感だとも思わないので、そういう意味で男の必要を感じたことは一度もなかった。ちょっと感じても、すぐまぎれて、忘れてしまうことができる。だから私は六人の男に許したときも、自分が浮気だとは思わずに、電車の中だの路上だので、思わず赧《あか》くなったり胴ぶるいがするという登美子さんが、よっぽど浮気なのだと思っている。私はあんなことは平凡で適度なのが好きだ。中には色々変な術を弄して夢中にさせる男もいるけれども、あとで思いだすと不愉快で、ほんとに弄ばれたとか辱しめられたという気持になるから、あんな時にあんな風に女を弄ぶ男は嫌いだ。あんなことは平凡で、常識的で、適度でなければならないものだ。
 私は終戦後三木昇に路上であってお茶をのんだが、そのとき思いついたように私を口説いて、技巧がうまくてそのうえ精力絶倫で二日二晩窓もあけず枕もとのトーストやリンゴを噛《かじ》りながら遊びつづけることもできるのだから、どんな浮気な女でも夢中になったり、感謝したりするなどといった。私は夢中になるのは好きじゃないと答えたが、彼は女のてれかくしだと思って、ネ、いいだろう、路上で私の肩をだいたが、抱かれた私は抱かれたまま百|米《メートル》ほど歩いたけれども、私はそんな時は食べもののことかなんか考えていて、抱いている男のことなどは考えていない。
 私は男に肩をだかれたり、手を握られたりしても、別にふりほどこうともしないのだ。面倒なのだ。それぐらいのこと、そんなことをしてみたいなら、勝手にしてみるがいいじゃないか。するとすぐ男の方はうぬぼれて私にその気があると思って接吻しようとしたりするから、私は顔をそむける。しかし、接吻ぐらいさせてやることは何度もあった。顔をそむける方が面倒くさくなるから。すると忽ちからだを要求してくるけれども、うん、いつかね、と答えて、私はもうそんな男のことは忘れてしまう。

          ★

 私の徴用された会社では、私が全然スローモーションで国民学校五年生ぐらいの作業能力しかないので驚いた様子であった。私はすぐ事務の方へ廻されたが、ここでも問題にならなかった。
 けれども別に怠けているわけでもなく、さりとて特別につとめるなどということは好きな男の人にもしてあげたことのない性分なのだから、私はヒケメにも思わなかったし、人々も概して寛大であった。
 会社は本社の事務と工場の一部を残して分散疎開することになり、私の部長は工場長の一人となって疎開に当り、私にうるさく疎開をすすめた。
 私が何より嫌いなのは病気になることと、そして、それ以上に、死ぬことであった。戦争が本土ではじまることになったら山奥へ逃げこんでも助かるつもりでいたが、まだ空襲の始まらぬ時だったので、遊び場のない田舎へ落ちのびる気持にもならなかった。
 私は平社員、課長、部長、重役、立身出世の順序通りに順を追うて口説かれたが、私は重役にだけ好感がもてた。若い男達が口説くというよりただもうむやみにからだを求めるのを嫌うわけではなく、私自身は肉慾的な要求などはあんまりないのだけれども、私は男女が愛し合うのは当然だと思って
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