前、こんなところでノンビリできりゃア、まったく、たまらねえな」
「花相撲に帰らなくってもいいの?」
「フッツリよした。叱られたって、かまわねえ。義理人情じゃア、ないよ。たまにゃア人間になりてえ。オイ、見てくれ。これ、このチョンマゲ、こいつだな。人間じゃないてえシルシなんだ。鶏に鶏の形があるみたいに、相撲とりの形なんだぜ。昔はこいつが自慢の種で、うれしかったものだけど」
私たちは米を持ってこなかった。エッちゃんが宿の人に頼んで一度は食べさせてくれたけれども、ほんとになくて困ってるのだから、なんとか自分で都合してくれという。私が財布を渡すと、ホイきた、とエッちゃんは立上った。
「ほんとに買える? 当《あて》があるの?」
「大丈夫大丈夫」
「じゃア、私もつれて行って」
「それがいけねえワケがある。一ッ走り行ってくるから、ちょっとの我慢」
やがてエッちゃんは二斗のお米と鶏四羽、卵をしこたまぶらさげて戻ってきて、旅館の台所へわりこんでチャンコ料理だの焼メシをつくって女中連にも大盤ふるまい。
「わかるかい、サチ子さん、お前をつれて行けなかったわけが。つまりこれだ、チョンマゲだよ。こういう時には、きくんだなア、お相撲が腹がへっちゃア可哀そうだてんで、お百姓はお米をだしてくれる、お巡りさんは見のがしてくれる、これがお前、美人をつれて遊山気分じゃア、同情してくれねえやな。アッハッハ」
「じゃア、チョンマゲの御利益ね」
「まったくだ。因果なものだな」
夕靄にとける油のような海、岬の岸に点々と灯が見える。静かな夕暮れであった。私はおよそ風景を解するたちではないのだが、なんとなく詩人みたいにシンミリして、だらしなく長逗留をつづけることになってしまった。
★
私の家には婆やと女中のほかに、ノブ子さんという私の二ツ年下の娘が同居していた。戦争中は同じ会社の事務員だったのだが、戦災で一挙に肉親を失った。久須美の秘書の田代さんというのが、久須美から資本をかりて内職にさるマーケットへ一杯のみ屋をひらくについて、ノブ子さんが根が飲食店の娘で客商売にはあつらえ向きにできてるものだから、表向きはノブ子さんをマダムというように頼んだわけだが、まだ二十、マダムになったときが十九というのだから嘘みたいだけど、実際チャッカリ、堂々と一人前以上に営業しているのである。
思いがけない
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