もいかないし、翌朝だしぬけにおびやかすのも気がひけるから、あれかれと考へたあげく、最も公明正大な方法をもつて堂々と乗りこむことにきめたよ。何月何日何時に鞄を受取りに参上するといふ外交文書に匹敵する正義勇気仁儀をつくした明文をしたためて、翌朝出勤の途次投函したのだ」
「うむ。そこまでは兵法にかなつてをる」
「さて約束の当日がきて、役所の帰りにそこへ寄る予定になつてゐたので、まづ勇気をつけるためかねて行きつけのおでん屋へ立ち寄つた。と、穏やかならぬ発見をしたが、なんだと思ふ?」
「よくある奴だ。てつきり不良少女だよ。娘が男と酒でも呑んでゐたのだらう」
「さうぢやない。鞄がその店にあつたんだ。考へてみると、例の一件の起つた日も、そこで一杯かたむけてゐたのだ。正式の外交文書を発送したあとだから、俺も見るからに歎いたよ。然し打ち悄《しお》れてもゐられないから気をとり直して酒を呑むと忽ち満身に力が沸いてきた。早速家へ帰ると始終の仔細をしたためた公明正大な文書を書き上げたのだ。いつ会はないとも限らない近所のことだ、まさかにほつたらかしておくわけにも行かないぢやないか」
「明らかに悪手《あくしゅ》だな
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