清太は百年語るべし
坂口安吾

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)駈《かけ》つこ

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#ここから2字下げ]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)なか/\

〔〕:アクセント分解された欧文をかこむ
(例)〔Faine'ant〕
アクセント分解についての詳細は下記URLを参照してください
http://aozora.gr.jp/accent_separation.html
−−

 若園君
 往昔とつくにの曠野に一匹の魔物が棲んでおりました。人里もなく森林もなく徒らに不毛の曠野がつづくばかりで、日毎々々の太陽は地平線から垂直に登り、頭上をぐるつと一回転して向ふ側の地平線へ没して行くといふ、光と夜のほかには陰といふもののない、まことに魔物には棲みにくい単調なところであります。ところがこやつ相当に呑気な奴で、退屈であつたには相違ないが別段それを苦にやむといふほどでもない、これを魔物の 〔Faine'ant〕 と申しませうか、なか/\美事な心境を会得した奴です。昼は地下に潜入して昼寝をむさぼり、夜となれば星明りの青白い曠野の上を駈《かけ》つこなぞして、結構面白がつてゐたのです。ところへ一日通りがかつたのが一人の旅人でした。こんなことは年に一人、ひどい時は何十年に一人通るかといふ珍らしい出来事ですから、喜んだのは魔物の奴です。積年の退屈ざましに充分からかつてやらうといふ、そこで燕尾服の尻尾のやうなものをだらりとぶらさげ、大地を破つて旅人の前へ現れると、にやにやつといふ気持のよろしくない笑ひ顔をぬつと旅人の方へ突きだしたものです。
「どちらへ!」
「わッ! これは/\!」
 忽ち慌てふためいてお辞儀やら敬礼やら挨拶やら似たやうな色々のものを一時にごた/\と連発したのが旅人で「ときにアナタ――」と、かう、開き直つたのか直らないのか、とにかく間髪を入れず喋りだしたのも亦旅人でありました。「ときにアナタ――」と、この旅人は二度三度吃りました。
「ときにアナタ――」いや、これはお初に珍らしいところでお目にかかりました、いやまことにお珍らしい、ときにアナタ、ソツジながらお尋ね致すがかのバル・ザック氏を御存じで。御存知ない? それは残念! そもそもバル・ザック氏といへば
次へ
全3ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング